松尾氏の体験談「俺の25年を返してくれ!」

※この内容は、研究所が立ち上がる前の研究員個人ブログのアーカイブです

 

「俺の25年を返してくれ!」そう叫んだ、大阪の松尾尚志さん。

松尾さんは25年間、ある宗教を信仰してきました。
中学校の時に入信してから25年。人生のほとんどをその宗教にかけてきました。

そんな松尾さんがあるきっかけで「真我開発講座」を受講し、その時に冒頭の言葉「俺の25年を返してくれ!」と思わず叫んだのです。
その25年とはどんな25年だったのか!
そして、そう何故叫んだのか!

そのあたりを松尾さんに聞いてみます。

「私が中学三年生の時、父が事業に失敗し、家族で夜逃げをしました。それこそ、テレビで見るような本当の夜逃げです。
それで、私だけが母方の実家である下関に預けられたんです。

もともと幼少期の頃、事情があって、毎年夏休みになるとその下関の母の実家で過ごしていたのです。
ですから、下関には幼少期に遊んだ友人が一杯いたのです。

幼いころとは違い、中学の時に下関の叔母の家にひとり預けられた私は、両親と弟はどこに逃げたのやら・・・、どこで何をやっているやら・・・・・。そして、何時、迎えに来てもらえるのやら・・・。解らないまま、毎日を過ごしていました。

そんな時「家に遊びに来いや」と、誘ってくれた友人の家が、その宗教を信仰していたのです。
「おまえ、何でこっちに来たんや?」
「実はな、親父が商売に失敗して、そして、家族で夜逃げして、俺だけがここに預けられたんや」

そしたら、友人の両親が「それゃ、信心や。尚志くん信心したらいい」と、強烈に誘われたのです。
そこで、友人も入信しているし、じゃぁ、俺も入信しよう・・・。
そんなきっかけで、軽い気持ちで入信したのです。

でも、今から思ううと、多分、何でも良かったんだと思うのです。
どんな宗教であろうが、サークルであろうが・・・、何でも良かったんだと思うのです。
その教義だとかそんなもので入った訳ではなかったのです。

だって、まだ子供ですよ。まだ子供でしたから、友達のおじちゃん、おばちゃんがそう言ってくれたのなら、訳も分からず入って行ったのです。
子供心に、置かれた環境が重かったのです。

今でも忘れられません。
毎日、叔母の家から祖父の家まで寝るために帰るのですが、その間が500メートル位あったんです。
真っ暗で、街頭一つも無い中、ひとり歩きながら
「何時まで、俺はこんなんやろか・・・・」
「なんで、こんな目に合うんかな・・・・」

寂しくて、悔しくて、悲しくて、心細くて・・・。
この気持ちを、どこへ持っていったらいいのか分からなかったんですよ。

だから、その時は何でもよかったんですよ。
その重い心が晴れるのなら、何でもよかったんですよ。

松尾尚志氏は現在大阪に在住なのですが、大変軽快な大阪弁で話してくれます。
「中学の時、寂しくて悔しかったけれど、そのおかげで反骨心というか、絶対負けへんで、こいつら見返したる…!みたいな気持がつきました。

高校になり、その時は石川県の叔父の家にお世話になっていました。
母と弟と一緒に三人で叔父の家に世話になっていたんですが、まぁ、私の生活はジプシーみたいな生活だったんですね。

高校の野球部に所属していたんですが、野球部の先輩がその教団の男子部で活動していたんですわ。
それで、その先輩の言われるままに、高等部の会合に出ていたんです。
そこで、自分がどんどんやっていくようになっていったんです。

その後、自立し、私は大阪で暮すようになります。
特に20代後半からは、自分自身が教団にどっぷりと浸かってバリバリ活動をするようになったのです。

私のやっていた宗教活動とは、どんなものかというと、ほぼ、生活の中心が宗教活動になります。
勿論仕事はしていましたが、仕事も宗教の活動をするための食べるためだけの仕事であり、宗教活動をするための日々でした。
その当時は、生きる事の9割を団体のために生きていました。
私はそれに何の疑問も持たず、当然だと思っていました。

毎日の私の生活は、例えば活動していない信者の家庭訪問をし、会合にきませんかと誘いに行ったり、信者の誰かが困っていると聞けば、相談に乗り、何らかの手を打ち、救いあげます。
「これこそ、救いや・・・」と思っていましたね。

当時、私は地域での幹部でしたので、信者同士で集う座談会の企画を考えたり、また、男性信者が集まる会合の企画を考えたりします。
それは、担当地域の信者がさらに、教団に深く関わってもらためのものであり、信者活動をしてもらうためのものでもありました。

私の所属していた教団は、信者数を誇る教団でもありましたので、新しい信者確保のための活動もあります。
また、特に○○の時期になると、ポスター・事務所の運営。そして、信者が協力するためのあらゆる運動をします。

まぁ、毎日何かかにかの活動はあり、宗教活動を休んでいる日などなかったです。
昼間は仕事をし、帰ってきたら毎日毎日、熱心にあちこち動いていました。

会合は夜の10時からあったりしますので、寝ている間もありませんでした。
まぁ、仕事場が休む場と言えば休む場で、仕事そのものが気を抜く場所でしたね。
それほど活動内容が熱心なので、基本的には幹部になる人は公務員とか、自営業の人とか、比較的時間が自由になる人しか勤まらなったですね。

私はほぼ寝る時間がない位、一日睡眠時間2 3時間で、バリバリ活動していました。
その時は、宗教活動に遣り甲斐もありましたし、何より人を救っていると思いこみ、それが、やりがいの一番でした。

仕事で、タイに行く事になりました。
タイでは光ファンバーの通信の仕事をしていたのですが、それなりに仕事も順調で、「自分は出来る人間だ」なんて、当時の私は勘違いをしていたんですわ。
現地の人に技術を教えてたのですが、そこで、今の妻と出会います。

タイでの仕事が終了し、私は日本へ帰ってきました。

佐藤康行は、「真我」とは「仏心」や「神性」と同じものだと言っています。
ですから、質問者のおっしゃる通り「仏界を開く」事は「真我に目覚める」事と同じであると考えます。

松尾尚志さんが所属していた団体は、仏界を開いた人々で(真我に目覚めた人々)世界を「仏界」(ユートピア)にしていくという活動で、理論的にはその通りの素晴らしい目標だと思えます。

神を信ずる宗教も、仏を信じている宗教も、どの宗教も全て同じところを目的としています。
もっと言うなら、人類全ての人々が同じ目的を目指しているのではないかと思います。

山に例えるなら、山の頂上を目指してそれぞれの道筋から登っているとでも言えましょうか・・・・。

しかし、問題はここからです。
一つ目の疑問は、山の頂上を目指しながら、必死で学び、祈り、活動(修業)をしていても、実際、山の頂上に立てた(真我が開いた)人がいるのかどうか?という疑問です。

宗教の場合、良くあるパターンは「教祖だけは山の頂上に立てた(真我が開いた)けれど、それ以外の人は凡夫ゆえ、まだまだその境地に立てていない(真我が開かない)。だから、さらに修業を積みましょう」というパターンです。

二つ目の疑問は、教祖(教団の代表者)だけが、神(特別)なのか?という疑問です。

宗教の教団組織に良くあるパターンでは、ヒエラルキーが存在し、明らかに人の上下が存在します。
その上下が、あたかも意識の高さに比例しているが如く、扱われる場合が多いと思われます。
果たして、人間の本質である「仏心(真我)」には上下があるのか?

佐藤康行は常日頃、そのあたりの事を何度も言っています。
「もともと、全ては神そのもの。あなたも神、私も神、究極の平等です。上だとか下だとか、そんな差別はありません。」

三つ目の疑問は、何故、同じ目的を目指しながら、誹謗中傷があるのか?という疑問です。
世界で一番問題になっているのは、宗教戦争です。
国内でも、お互いの宗教の悪口を言ったり、相手をやっつけたり・・・・。
そんな事は、良く目にする事です。

これから続く松尾尚志さんの体験談で、これらの事を検証していきたいと思っています。

松尾尚志さんは、これほど命を賭けて、教団のため、そして人々を救うために、○○を毎日唱え続け、時には何万回と唱え、そして、私心を捨てて活動に邁進していたのは、「仏界」(真我を開く)ためだったのです。
25年に渡り、教団の幹部として、一心にやり続けて、果たして真我が開けたのかどうか・・・・?
果たして、どれほどの幸せを手に入れたのかどうか。

タイで結婚をし仕事も順調でしたが、日本に帰ると松尾尚志氏はその仕事も辞めてしまう事になります。
それまでも何度となく転職してきた松尾氏。

松尾氏に、ご自身の人生を語ってもらいましょう。

「今まで、私は10社以上の転職をしてきています。
宗教活動をしようとすると、活動できる条件の会社を選んでしまいます。
特に私は、幹部として活動していたたため、就職の条件は活動を維持できえることが条件になってきます。

以前、お話ししましたように、毎日の活動は忙しく、正直、仕事がやれるような状態ではなかったのです。
それで、結局、何10社も転職するはめになってしまいました。

そのうち、私は鬱っぽくなってしまいます。
ふと、死にたい・・・・と思ってしまったりする・・・・。そんな感じだったのです。

それで、宗教活動もいよいよ出来なくなり、活動を休む事になりました。
事情を話して、活動を休ませてもらっているのにも関わらず、教団の中で私は『退転した』と言われます。
退転とは、信仰から落ちこぼれたというような意味の事です。

鬱の上、人をさらに落しめるような事を言う・・・・・。
なんという団体なんだ。

人を救うと言いながら、こうやって私を落としめている。
すっかり嫌気がさしました。

なんで、俺だけがこんなに不幸なんやろうかな?
なんで、俺だけがこんな貧乏くじひかなならんのかな?
こんなに、宗教活動頑張ってきたのに、なんで俺だけがこんな目に合わなならんのかな?

毎日、毎日そんな事を考えていました。

お金も仕事も無い。悪い事何にもしてないのに・・・・・何でや!
こんなんになるのは、世間が悪いんや。世の中が悪いんや。

そんな私を見かねて、妻が「こんなんがあるよ」そう言って、教えてくれたのが「真我開発講座」でした。
「そりゃ、おまえ騙されてるぜ」という事で、その時は私は見向きもしませんでした。

世の中を恨んだまま、何度も面接にも行きました。
今まで、おそらく300社以上面接に行きましたが、全て駄目でした。
ほとんどが、書類選考で落とされます
なにが、理由か解りませんが、落ち続けます。

男として、人間としてプライドがカンナで削られるように削られてきます。

ある会社の社長に『君は、社会で必要にされていない』そう言われた事がありました。
ああ、俺って、社会に必要にされていないのかもしれないな・・・・。そう思いました。
自信もなくなり、生きる希望もなくなり「俺ってこのまま生きていていいのかな・・・・・」とまで、思いつめるようになっていました。

こんな状態の私にとって、人を救うはずの宗教団体は何の救いもありませんでした。
むしろ、社会と一緒になって、私を落としめているだけでした。

そんな時、もう一度、家内が「真我、行ってみたら・・・・?」そう言ってくれたのです。

さて、ここまで松尾氏に語ってもらいましたが、佐藤康行がやっていることと松尾氏が以前、所属していた宗教団体との違いはどこにあるのか
勿論、これから松尾氏自らが体験として語られますが、ここまでの明らかな違いは

佐藤康行は、私達の中に仏(真我)がいて、既に救われている。
その事に気付くだけでいいと言い、実際、自分が仏そのものである事を「真我開発講座」という手法で、引き出してくれます。

自身の中にある仏(真我)の存在を体感すると、感謝と愛で今までと捉え方が、ガラッと変わり、それをブレる事なく実践していけば、救われていきます。

一方、松尾氏の所属していた団体は、松尾氏が活動により仕事を失い、鬱になって一番辛い時期に、救うどころか「退転した」と言って彼をさらに苦しめたのです。この団体は「救う」といっていますが、果たして本当に救われるのでしょうか?

「家内が、いっぺん真我行ってみたらどうなの、そう言われ、じゃあ、タダだったら騙されてもいいか・・・と、思って、関西支部へ話を聞きに行ったのです。
潜在意識のクリーニングが出来るという話に興味がわいたんですわ。
それもいっぺんに出来る・・・・。そこに興味が湧いたんです。
これが、もし、出来たら凄いよな・・・・!そう思ったんですわ。

私のいた宗教でも、それは言ってたんですね。
ただ、いっぺんに出来るとは言ってなかったんですね。
宿業が一つ一つ出るたびに、それを潰していかなきゃならん・・・・そんな話だったんです。

これは受けて見ようかな・・・・と、思ったんですが、受講するお金がなかったんです。
どないしよかな・・・と、思って、そうや!カードで受講しよう!・・・・後は何とかなるわと・・・・・。
これが私の踏み込みだったんですわ。

未来内観コース、宇宙無限力体得コースと受講し、真我が開いたその時に、
あ!これや!俺が探してたんはこれやったんや。
『俺の25年、返してくれよ!俺の人生かえしてくれや』

思わずそう叫びました。

私の人生、その宗教のために、時間もお金も全て費やしてきました。
この教えを広げてきたら、自分も世の中も幸せになるよ・・・と言われてやってきたけれど、俺、全然幸せになれんかった。

命がけで真面目にやってきたこの俺に、何が残ったんや?結局こんなことやないか。
正月も盆もなく、朝から晩まで何一つ文句言わずやってきたんやないか。

幹部の中には、「現実と理想は違う・・・・」と、はっきり言う幹部もいました。
理想を現実にするのが本当やないか・・・・そう思って、その幹部と喧嘩した事もありました。

最終的に思った事は、何でこんな素晴らしい事をやっているのに、それが一番の悩みの種になり、一番の苦しみになるんやろうか・・・・。

真我開発講座、たった二日でここまでの心境になれた。
二つ受けて、四日でこれの心境ここまできたんや。

25年間も俺は騙され続けてきたんやないか!
腹立って、腹立って「俺の25年を返してくれや!」そう思いました。

その後、佐藤学長の講座を受講できる事になりました。
今まで、僕は僕を納得させてくれる人に出会った事はなかったんです。

「あっ、この人やな・・・。この人が俺が探し求めてきた人なんや・・・・」そう、肝の奥にストン!と落ちるものがありました。

私は、人の前で泣いた事は今までありませんでした。
しかし、学長の膝で、わんわん泣きました。

さて、今日の松尾さんの体験で明確になった事。
それは、松尾さんの体験からもわかるように、その宗教の教え通り、どれほど学び、どれほど実践し、そのために人生の全てをかけたとしても、仏性(真我)には出会えなかったという事。
それどころか、宗教そのものが、苦しみの種になり、悩みの種になってしまったという事。

その教団の幹部であっても、そのような心で苦しんでいるという事。
理想と現実とは違う・・・と思わなければ、やってられない教えであったという事。
これは、いったい、どういう事なのでしょうか?

始めて佐藤康行という人物に会った、松尾尚志氏は
「この人だ!俺が求めていたのはこの人だ!」そう思ったのでした。

「私は25年間、たくさんの人を折伏し、1000人以上の人を騙してきてしまいました。」
そういう松尾氏に佐藤康行はこう言ったました。
「松尾さん、あなたが真我を開き続けていれば、それだけでいいんですよ。それ以外、考えなくていいのですよ」

その一言を聞いて、松尾氏は解き放たれた気持ちがしました。
生まれて初めて、自由になった気がしました。

「あぁ 、それでいいんだ。俺はこれで自由になれる!」
佐藤康行の膝で、始めて感じるこの感覚に,ただただ泣いている松尾氏でした。

これまで、ずーっと、自分が救われるためには人を救わねばならない。
仏界を作らなければならない。
そのためには、どんなに辛くても、活動をし続けなければならない。
人を折伏し続けなければならない。

自分自身を縛っている目に見えない何かから、その縛られた苦しみから、佐藤の真理の一言で、ふっと心がき放たれ、自由を感じる事が出来たのでした。

さて、松尾尚志氏の体験は、実に明確に多くの事が見えてきます。
佐藤康行のやっていることと、宗教団体の違いが明確が明確に解ります。

佐藤康行研究会として、その辺りを少しまとめてみたいと思います。

きっかけはさまざまではあったとしても、宗教を信じると、みんな同じになっていきます。
同じ事を言い、同じ動きをし、その宗教の色に染まっていく・・・・。
そして、個性を失っていき、自分らしさが無くなり、まるでロボットのようになっていきます。

これが洗脳された結果なのではないかと思います。

洗脳の恐ろしさは、洗脳されている本人自身が、全く洗脳されている事に気付かない。
洗脳されている自分が、成長して変化した自分だと思いこんでしまっている。
そこに、恐ろしさがあります。

洗脳から解き放たれる瞬間の、自由になった感覚を松尾氏は実感されましたが、洗脳から解放されるには、本当の自分に出会うしかないのではないかと考えます。

佐藤康行の開発した、史上稀にみるスピードで、本当の自分に目覚める事が出来る「真我開発講座」の受講により、夢から目覚め、洗脳から解き放たれ、自分自身で生きていける自由さを手にする事が出来る。
この喜びがいかほどのものであるのか・・・・。

今、この本当の喜びを手にした松尾氏は、生き生きと自分らしく生きています。

松尾さん、貴重な体験をありがとうございました。
この松尾さんの体験が、皆様の役に立てることを祈っております


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4.体験談集(取材録)
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