佐藤康行と行った「ワールドツアーINバンコク」を振り返る

※この内容は、研究所が立ち上がる前の研究員個人ブログのアーカイブです

タイツアーでの振り返りをしたいと思っています。
これは、あくまでも「渡辺研究員がミタ」話です

タイ最後の日は、バンコクからバスで1時間半ほど乗り「アユタヤ」という地方の遺跡を見に行きました。
タイはもともといくつかの大国がひとつになったものだそうです。
アユタヤも過去、ひとつの大国だったそうで、そこにはたくさんの寺院の遺跡があります。
そのなかでも、日本とも縁がある「アユタヤ」へ、佐藤康行とともに出かけました。

タイは一日目もそうですが、寺院が多いところです
人口の8割以上が仏教徒だそうです。
そのため、タイの国ではオレンジ色の布をまとった僧侶が、あちこちで托鉢してまわっている姿を見ます。
寺院には仏舎利塔という、釈迦の骨が祭られていて、深く釈迦への信仰心がタイの国の骨格をなしているように思えました。

この仏教の歴史の国で、今回、佐藤康行が真我開発講座をやったということの意味を深く考えたいと思うのです。

佐藤康行がアユタヤでの遺跡を見学したいるとき、冗談のように仏舎利塔で「私もこの中で残るのかな・・・」的なことをチラッと冗談めかしく言いました。
しかし、私には冗談とは捉えられなかったのです。

佐藤康行と釈迦の残したものとは、私の中では何度も比較してきました。
どちらがどうとか・・・・・・・そんなレベルの話をしたいのではありませんが、2600年以上も前の釈迦の生きた時代、釈迦やその後い生まれたキリストが遺したもの以上に、人類の精神性の発展は見られなった人類の歴史だったように思えるのです。

しかし、佐藤康行が「真我」を自覚し、そしてその自覚は誰にでもできることを発見したことで、人類の精神性や生き方、全てをひっくり返すこの事実は、釈迦、キリストの時代に比べて、大きく大きく進化しています。

釈迦がやりたくても出来なかったこと。釈迦が一番やりたかったこと。
そこをスタートにして、佐藤康行はさらなるものを次から次へと見せているのです。
「過去を変えること」
「黄金の雨を降らすこと」
「マジックミラーからみること」
そして、全ての人が仏そのものであることを体感する。
「本当の自分」に出会うこと

これこそ、釈迦がやりたくてもやり遂げられなかったことです。

もし、釈迦が生きていたとしたら、一番に駆けつけてきて、一番に講座の受講をしたに違いないと私はそう思ったのでした。

佐藤康行がタイへ行った初日に、豪雨が降り、とてつもない雷が鳴り響きました。
これこそ
佐藤康行を迎えるべく天が知らせた奇跡!

タイで今、自分が遭遇していることの奇跡を改めて自分の身を通して起こることで実感したのでした。

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