※この内容は、研究所が立ち上がる前の研究員個人ブログのアーカイブです
昨日は、自分に現れる「好転反応」の意味がわかるといいということ。
そして、人間の体そのものが神様の究極のメッセージだということ。
そういった話でした。
今日もさらに、「好転反応」の意味を知ることについて、佐藤康行との一問一答です。
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Q:「好転反応」の起こる意味が分かることと
時間を短縮してさっと次へ行ったほうがいいという場合とどこがどう違うのですか?
A:意味が分かって、次へいけるのが一番いい
両面があるから・・・。
意味が分かれば、もう味わう必要はない。
例えば
どこか、腹が痛いとする
もしそこが癌になりかけだとしたら、痛いおかげで検査してそれを取り除くことが出来る
だから、もうわかればその痛みは必要なくなる
痛みは、「ここだよ」と教えてくれていた
癌が「ここだよ、ここだよ」と
例えば
仕事で注意していても「あそこ」って指さした瞬間に「そうね」という人には何も叱る必要が無い
なかなかやろうとしないで、言ってもわからない人には、何回も言わなければならない
時には机を叩かなければきゃならない
それでもまだやらなかったら、だんだん、だんだん仕事が来なくなる
仕事が来なくなるというのは、先ほどの癌の例で言うなら
だんだん癌がひどくなるのと同じことなのだ
Q:「好転反応」はここだよって教えてくれているとは?
A:教えてくれているので、踏み込んでなおしてしまえばいい。
ここでやっていること
それは「全て愛で解決するという」こと
愛で踏み込んだ時に、ぱっと消える
その愛はあらゆるものに使える
それは「真我の愛」だから
Q例えばずーと深くてなかなか届かない人はどうなのでしょうか?
A:マグニチュードが深い
深いゆえに届かないというか、何が入っているかわからない
三日月が深いということだ
マグニチュードの深い人は
なかなか手が届かない深い感じで
漠然といている
誰かを恨んでいるというわけでもない
しかし、佐藤康行がとことん向き合える時間があったら
仮に、それをやったとしたら
ひょっとしたら、本人が気を失ってしまうかもしれないけれど
もし、それが出来たとしたら、どうだろう?
相当変わることが想像できるのではないだろうか