誰もが、自分の前に「無い」ものを求めます。
おなかが空けば、おなかが満たされること。
寒ければ、暖かいこと。
病であれば、健康を。
しかし、佐藤先生から、全く違う観点からのお話を頂いたことがありました。
この話は、今から8年ほど前の話です。
佐藤先生からこんな風に、問いかけられました。
「動物園にいる動物は、空腹から逃れられ、危険な敵からも守られている。
暑さ寒さからも逃れられ、子供を育てる危険からも逃れられている。
片や、自然の中で、常に命と向き合って生きる動物もいる。
どちらが幸せだと思いますか?」
「コンクリートの中で暮らす動物。
野生の中で暮らす動物。
コンクリートの中で暮らしている方が、なに不自由なく幸せに見えるかもしれない。
野生の中では、常に危険と隣り合わせで、一見不自由に見えるかも知れません。
でももし、うつになるとしたら、どちらの動物だと思いますか?」
まさに観の転換でした。
人類は「白くも」になる事を、幸せだと思って、求めてきました。
宗教も、教育も、ビジネスも、医療も、ありとあらゆるものが、白くもを求めてここまで来ました。
しかし、白くもを求めれば求めるほど、苦しみが伴ってきます。
白くもは白くも
真我ではないのです。
佐藤先生の凄さは、白くもと真我とは全く別物だと、そこをハッキリ明確にわかりやすくして下ったことです。
私たちが行くべき道を、明確にして下ったことです。
世の中には、「真我」と白くもを、ごっちゃに言っている方がほとんどです。
「佐藤康行の真我」と、他の方が言われている真我とは、白くもと太陽との違いほどの別物だと、そう、感じます。
だからこそ、「佐藤康行の真我」でなければならない!
そう思う、研究員です。