昨日に引き続き、佐藤先生へ質問をしたときのメモです。
「佐藤先生が進化する」という事について、お尋ねしています。
今日は、その部分をシェアしたいと思います。
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私をみる。
佐藤康行をみる。
どこに焦点を当てているかという事がいかに大切か。
方向性がそちらを向いているという事が大事なことなのです。
もし、穴を掘る「ツルハシ」があなただとしたら、あなたの深さで自分が掘れる。
そのツルハシで自分を掘っているわけ。
そのツルハシは、いくらでも伸びるツルハシです。
だから、「まだ届かない・・まだ届かない…」と言っているのはいいことなのです。
そのうちに伸びてくるからです。
だから、深いところに気づくことが出来るのです。
同じツルハシを自分にも使っているし、人にも使っている。
だから、浅いところで底が知れたら、その浅い自分が反射している訳なのです。
鏡のように、同じ深さが反射し合っている訳。
私をみるという事は、私の深さを知るという事です。
私の深さを知ることによって、自分も深まると思うのです。
私も自分の底が知れないから、知りたい。
自分の底を感じた事が一回も無いから、私・・・・。
本当は果てしなく深いという事は、想像できるのだけれど、底に当たった事は一回も無いから届かないわけ。
ず――と深いところに行っても、届かないわけ。
底に落ちていっても、下が無いから。
そういう感じ。
昔「孫悟空が、御釈迦様の手のひらから飛んで行って、その手のひらから出たと思ったら、そこも手のひらだった。」という話しあるでしょ?
そういう感じ。