今更ながらの話ですが、研究員は、真我開発を受講し始めたとき、最も不得意なものがありました。
それは「ゴミ出し」でした。
「ゴミを出しましょう」と言われても、全くゴミが出てきませんでした。
今から考えると、宗教でも教えの影響だったのかもしれません。
また、幼少時からの教育の影響だったのかも知れません。
自分の中では、蓋をしているという意識もありませんでした。
しかし、かなりしっかり蓋をしてきていたようで、容易にはゴミが出てきませんでした。
ゴミが全く出てこなくて、なぜこんな事をしなければいけないのだろうか?
そう思って、苦しんだ時期がありました。
考えてみれば、「ごみを出しましょう」と言われたことさえ、人生で初めてでした。
そんな研究員でしたので、初めて「真我との対話」を見たときは、ひっくり返るほどの驚きでした。
罵倒や恨みが目の前で光に変わる。
その瞬間を見たときには、あまりの驚きで、呆然自失。
人生であれほど驚いたことはありませんでした。
そんなことを、今朝はふっと思い出したので、今日は佐藤先生の生ゴミについての講話を、今一度、ゴミが出せずに苦しんでいる方に、きちんと伝わるよう、このブログに書き届けておこうと、そう思いました。
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真我は太陽のような素晴らしい心なのに、なんで色んな悩んだり苦しんだり色んな、心が暴れたりするんだろう。
心は過去の記憶で出来てる。
過去の自分が生まれる前と、先祖代々と前世の記憶で出来ている。
そして、親の育てられ方、兄弟との付き合い、そういうものが何一つ記憶、皆さん覚えているわけです。
全部、覚えている。
それが邪魔をしている。
その心の雲を私は「生ゴミ」と言ってるんです。
その家の中で腐った生ゴミがあったら、段々部屋中がその臭いが部屋中に広がります。
そしてその部屋に居る家族、同じ部屋に居る人たちが、その腐った生ゴミの臭いを嗅がなきゃいけない。
それが窓から出て行ったら、近所中の人にもその臭いを嗅がせる事になっちゃうかもしれない。
その生ゴミを人にぶつけるんじゃなくて、一回全部集めて、ゴミ箱に捨てる。
またそれを、自分がずっと抱えてるんじゃなくてゴミ箱に捨てましょう、という所からはじめましょう。