(佐藤先生)
人間の喜びの中で、自分を知ることこそが、最大の喜びです。
私は質問をされることで、自分がわかってくるのです。
私は宇宙全体、生命のことで、答えられなかったことはありません。
私は瞬間に全部わかった瞬間があったのです。
それは数秒です。
人類の中で、この体験をした方はいないのではないかと、そう私は思っています。
私は地球上のこと、宇宙のことは、全部わかっちゃったと本当に思えたし、それは今も変わらないものです。
私には、自分の限界がわからないわけです。
自分の限界がわからないという、この喜びは、これ以上のものは無いのです。
Q:自分がわからないというのは、「喜び」なのですか?
(佐藤先生)
無茶苦茶、喜びです。
例えば、今、10kgのものが持てた。
それが13kgのものが持てた、15kgのものが持てた・・・。
1000kgが持てるかもしれない、それはわからない。
その瞬間、どれも持てたら、自分の限界がわからなくなるでしょ。
それが楽しみなわけです。
自分が10g増えたら持てなくなるという瞬間があるとする。
しかし、私の世界では、それを感じたことは無いのです。
いきなり10kg増えても、100kg増えても軽い、そんな感じなのです。
Q:佐藤先生のその「わかる」は、人を通してわかるのでしょうか?
それとも、自分の中でわかることでしょうか?
(佐藤先生)
私の中で分かったの事を、それを現実化していかなければ、それはわからないでしょ。
それには、人を通して見せていく。
私はあるとあらゆる人、その人を通して、見せてきたのです。
Q:人を通して見せるというのは、老いうことでしょうか?
(佐藤先生)
人を通すというのは、人を含めた存在を通してわかるのです。
例えば、ワールドツアーの時、月の回りに雲が襟巻のように巻いたことがありましたよね?
あれは、雲があり月があるという対象物があったから、わかったとなるわけじゃない。
あれが何にもなかったら、何も起きない。
あいういう対象物があって、雲が動き出す。
「あれは何だろう?」
勿論、私も含めて、みんなわからない訳です。
あのような対象物があって初めて、見えないものの真実がわかるわけです。
(次回に続く)