以前、佐藤先生は「守破離」という言葉を使われたことがありました。
「守破離」とは、道を求め道を歩むことについての修行方法を示した言葉でもあります。
しかし、佐藤先生が使われた意味の本当の意味は、いかなるものであるのか。
以前、その事について、佐藤先生はこのようにお話下さっています。
ある意味、ここでは守破離をやっている。
まず自分が真理を得て、それを学んでいくという事。
それが守です。
離れるというのは、ここから物理的に離れるという事ではありません。
私が「皆さんの中に全部あるんですよ」と言っているのは、離しているわけです。
私の考えでやって、離れないようにしているのではないのです。
「皆さんの中にすべてあるんですよ」と、そう言っているのです。
「問題も皆さんの中にあるし、答えも皆さんの中にある。ほら出来たじゃない。人から教わらなくても、できたじゃない。」
そう言っているのです。
これがまさに守破離です。
真我は究極の自立なんです。
でもそれは無限なんですよ。
無限の素晴らしさがあるのです。
皆さん、わかったつもりにならないでください!
皆さんはそれを知るために、こうして私のところに来ているんです。
佐藤先生は「発信者になると良い」と言われます。
そして今、発信者を目指される方が、次々と現れてきています。
この発信者の姿こそが、佐藤先生の言われる「離」の姿なのかと!
発信者として生きていくことが、真我の自立の姿であると、そのように理解した研究員です。
今回の関西での、佐藤先生と皆さんの質疑応答での姿を見て、改めて、そのように感じさせていただけました。