佐藤康行「速射砲セミナー」後記

※この内容は、研究所が立ち上がる前の研究員個人ブログのアーカイブです

佐藤康行ならではの話をご紹介したいと思います。
「速射砲セミナー」では、こんな出来事もありました。

隣どうしに座っていた、AさんとBさん。

Aさんの質問に佐藤はこう答えました。
「Aさんはさっきから、私はこんな駄目な人間だって言う事をおっしゃっている。
そういう風に決めたら、その通りになる。

その反対をやってみたら、どうでしょう
ちょっとそれを変えただけでも変わります。

私は出来るという所から出発しましょう

そして、Bさんにはこんな風に言いました。
私は出来ないという所から出発するのです。

商売だってそうなのです。
看板もチラシも見てくれない、聞いてくれない、から始めるのです。

出来るってところじゃなくて、出来ないっていう所から出発するのです

そして、次なる質問が来ました。
「Aさんに言っていいる事と、Bさんに言っている事。
一見、ちぐはぐに聞こえるのですが・・・・・?」

佐藤康行は嬉しそうに、言いました。
「あ いいねぇ 。
素晴らしい!

いいとこ目つけたね !
凄くいい質問です。」

佐藤康行はこの事について、こう説明してくれました。

「いいですか、私の一貫していることは、相手は神だと事に一貫している。
だから、相手を見て話をしているのです。

Aさんは、自分はダメだ、ダメだとおっしゃてる。
だから、Aさんは、完全で完璧で神そのもの、愛そのものなんですよって伝える事が、まず大事な事なんです。

Bさんには、毎日の習慣の話です。
習慣を変えなければ、いけない。だから、こういう習慣にしなさいと言ったわけです」

かつて、釈迦は「相手を見て法を説く」と言われていました。
釈迦は「方便自在であった」といいます。

現代の佐藤康行は、相手は全て神そのもので、終始一貫しています。
そして、釈迦と同じように、自由自在の質疑応答を繰り広げます。

しかし、佐藤康行は、時にはあえて、言わないこともあります。
判っていても、黙る事があります。

あえて、言わない・・・・。

「相手を神として見ている」この一点から一切、ずれない。
この神の愛とでもいうもの。

ここが、佐藤康行の、佐藤康行ならではことだ!
実は、私はそう思っているのです。

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