かぶせないための7つの法則「法則その7:あなたの防衛本能を取れ」

※この内容は、研究所が立ち上がる前の研究員個人ブログのアーカイブです

 

かぶせないための7つの法則とは次の7つです

1、問題は解決しなくていいい
2、相手のことはわからなくていい
3、「正しい」と思うことをするな
4、人は変わらなくてもいい
5、反省をしないこと
6、「願い」も「望み」も持つな
7、あなたの防衛本能をとれ

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「かぶせないための法則」の1~7まで、長きにわたりお伝えしてきました。
いよいよこの法則も最後となりました。
最後の法則は「あなたの防衛本能を取れ」です。
その前に、この法則が生まれた背景とその前後の出来事についてお話いたします。

法則その7
「あなたの防衛本能を取れ」 第1話
かぶせたくはないと思ってはいるのですが、知らぬ間にかぶせてしまっているといるのが困ったものだと、常日頃から思っていました。

そんな私ですが、私が長きにわたり、佐藤康行を研究してブログで発表しているためか、皆さんからご相談頂いたり、個人的なお話をきいたりする機会があります。

そんな時でした。
私にとっては、全く思いもよらない話が勃発したのです。
私にとっては寝耳に水のような話でもありました。

それも、ひとつではなかったのです。
次から次へと、私がやることなすことことごとく問題として浮き上がってきたのです。

でも、その時は私は全く気がついていませんでした。
完全にボヤの段階だったのですが、そのボヤの匂いさえ気づかずにいました。
このまま放っておけば、必ず大火事になったことでしょう。
でも、その時の私は、たとえ大火事になったとしても、火の元は自分だと思わなかったかもしれません。

何故なら、全く自分に非があるとは思っていなかったからです。
「私は相手の要望に対してお話したのであり、ましてや話のあと、あんなに喜んでもらっていたのだから、私には何の問題もない」
そう思っていたのです。

私の脳と、私の記憶では、何の疑問もなくそのような結論だったのです。

佐藤康行が「自分の頭の上のハエは追えない」
そう言いますが、まさに、その通りです。

佐藤康行が「コップの中の水は同じ水では変えられない。でもたった一滴インクを落とすだけで変化する」
そう言いますが、まさにその通りでした。

私に一本の電話が入りました。
佐藤学長でした。

とある喫茶店・・・・。
佐藤学長はいつも通りの感じで話を始められました。

はじめは何の話かわかりませんでした。
話がなんとなく理解できはじめてきたところで、私の中から出てきた反応は
「学長、違います!
それはどなたかから、全く違う情報が入っているのではないですか」という、自分が見ているもの、感じているものを説明したいという気持ちでした。

やはり、私は自分のスクリーンに映る姿が真実だと思っていたのです。
だから、佐藤学長の話は自分の見ているスクリーンと違っている=私が正しいということになってしまったのでした。
相手が佐藤学長でなければ、完全に口げんかになっていたに違いありません。
そして、間違いなく私は、自分の言い分を通していたことでしょう。

佐藤学長は、いろんな角度から、私に質問をされました。
「もし、+++++だったらどうなの?」
「私はそういうことを言っているのではないのですよ」
「私は決して人の意見に左右されることはありませんからね」

たくさんの言葉を言ってくださいました。
それでも私は「わからない・・・」「わたしはどうしたらいいの?」
「わたしが間違っていると、そうおっしゃっているのですよね」
「私がダメだとおっしゃっているのですよね」
最初はそうとしか聞こえてきません。

「私は何をどう直したらいいのでしょうか?」
「私はそのままの研究員さんでいいと思いますよ
どこも直す必要はないとおもいます。」
(「えっ?だったらなんでこんな話をされるのだろう・・・・」)

「私がダメだからこういう話になったのですよね?」
「私は研究員さんを一度もダメだと思ったことはありませんよ」
(「だったら、何をどうすればいいの?」)

前半は全く話が噛み合いません。
私が自分が困っていて、助けてほしいと思ていればまだしも、全く間違っていないと思っているわけですから、私の耳は変な聞こえ方しかせず、さらに話はややこしいわけです。

でも、佐藤学長は粘り強く何度も何度もお話し下さいました。
一歩も定位置から動くことなく、どこまでもどこまでも私を満月として話してくださいました。

それは私を褒めるでもなく
私を励ます話でもなく
ただただ、私から真我の心がでてくるのまであきらめず、揺らぐことなく、私の中から引き出してくださるのでした。

褒めること
励ますこと
それさえもかぶせになるのだと、私はそれも含めて、この時体験しました。

今、この文章を書きながら、あの時の場面が頭の中に浮かびます。
佐藤学長と話をしているあの時の分からず屋の私を、もう一人の今の私が、まるで上から見ているような感覚になります。

上から見ている私は、ただただ涙を流しています。
それは感謝の涙です。
佐藤康行という師と出会えた、分からず屋の自分の幸運にです。
そして、この涙は、佐藤康行という師が存在していたという、この奇跡に対してでもあります。

何度も何度も行ったり来たりのやり取りをしているうちに、少しずつ分かってきたことがありました。

佐藤学長は、私が何を言ったかとか、どう言ったかなどという技術的なことをいっているのではなく、私のエネルギー的なことを言ってるのだということでした。

私が良かれと思ってやっていること、それこそ、かぶせそのものだということです。

相手のためを思ってあえてやってあげていると思っていたこと、そのものがかぶせだったのでした。
何故なら、決して相手が望んでいるわけでもないことだったからです。


引き出すつもりであえて質問したこと、それが余計なお世話だったのでした。
「根ほり葉ほり聞く」と言わしめたほど、余計なお世話だったのです。

佐藤学長は「相手が言ってこない限り、こちらがたとえ気が付いていても言わない」というようなことをいわれました。
その話を聞いて、自分は相手の為と思いながら、それこそが愛のかぶせであったことに気が付いたのでした。

「全部、かぶせだと思った方がいいですよ」と言われた時、「えっ?全部ですか?私のやっていること全部がかぶせなのですか?そんな・・・・」と正直思いました。

でも、考えてみたらその通りなのです。

一つがかぶせなら、当然、それをやっている私がやることはすべてかぶせに違いありません。


もう少しお尋ねしていいですか?という私に
「いいですよ。今日はわかるまでゆっくり話をしますよ」そう言って、本当にわかるまでゆっくり話をしてくださいました。


「愛の上を行ったらすべてが消える」とそうも言われました。
「愛の上とはなんですか?」と質問すると、
それこそが真我であり神の愛だとおっしゃいました。
神の愛は、人間が思う愛とは違うとも言われました。

佐藤学長からじっくりとお話を頂き、私の頭はかなり理解できてきたのでした。
「そうか・・・・。そういうことだったのか・・・・・」
そう思って、自宅に帰ってきたのでした。

しかし、問題はそれからでした。
頭ではわかっているはずなのに、苦しいのです。
苦しくて、苦しくて、妄想が次から次へと湧き上がってくるのです。

寝ても醒めても・・・・湧き上がってくる思いに苦しめられている、そんな感じです。
「辛い。。。」そう思いました。
「苦しい。。。」そう思いました。
「逃げたい。。。。。」そうも思いましたが、逃げる場所はありませんでした。
寝ても眠れず、食べることもできず、息をするのが精一杯でした。

周りに申し訳ないと思うと、自分を責める。
自分を守ろうとすると、周りを責めたくなる。
どちらも苦しくて辛い。
どちらへも行けないし、そのままでいるのはもっと辛い・・・・・。

そんな時、友人のTさんから「大丈夫?」と電話がありました。
実はTさんだけが、今回の件を知っていてくれたのでした。

思わず子供のように「うわーーーーん」「えぇーーーん、えんえん」「おぉーーーい、おいおい」と泣きました。
Tさんも私のあまりの泣きっぷりに驚いたのか、一生懸命「大丈夫よ!」と必死で言葉を尽くしてくれたことが本当に有難かったです。

今から思うと、この苦しみは、殻が破れているのに出ようとしない苦しみだったように思います。
今まで自分を守ってくれていた、安全だと思い込んでいた殻が破れてしまって、恐怖におののいていたのかもしれません。
殻の中は、多少の不満はありましたが、それでも今までの自分の居場所です。
安全で安心だったのです。

あまりの苦しさに、打つ手がありませんでした。
藁をも掴む思いで、このときの会話を音声で取っていたので、その中の佐藤康行の言葉を何度も何度も聞きました。
すがるような思いで、朝も昼も夜も・・・・・、数日間の間、何度も何度も聞き続けました。

そのうちに「あれっ?」
音声の会話を客観的に聞いている自分がいました。
もう、聞いていても胸が痛みません。

佐藤康行はその中で言っていました。
「防衛本能を取れますか?」

そうか。
今、私は自分を守ろうとしているのか。
そうか。。。。そういうことなのか。

私の苦しみは、実は、殻の中にい続けようとしたことだったのです。
殻の中は、どれほど窮屈で苦しくても、安全だと思っていた。
その自分を守ろうとする恐怖心そのものが、一番、自分を苦しめていたのでした。
その苦しみは、もう成長しているのに、以前の小さなその殻の中にいる苦しさでした。

天は碎啄同時(そくたくどうじ)
殻が破れないと、雛はその中で死ぬ」
そう佐藤康行は言いいます。

私は、佐藤康行のその時の音声を何度も聞いているうちに、私とのやり取りの中で、何度も私に言っていただいている言葉があるのに気がつきました。
その言葉を忘れないように・・・・・。
そう思って書き留めたのが、昨年からブログのタイトルにもしている7つの法則の言葉でした。

*******
「問題を見るのではなく真我だけを見るのです

「相手のことは分からなくていい。分からないから、相手の価値観にあわせられるのですよ」

「正しいことをするのはビジネス脳、ここでやっているのはいのちの脳です」

「あなたはなにも変える必要は無いと思いますよ。そのままのあなたで光ることや、あなたにしか出来ないポジションがあります」

「反省しすぎると、せっかくのあなたの個性もまで死んでしまいますよ」

「あなたのその願いや望みが、知らないうちに愛のかぶせになっているのかも知れません」

「私は個人に興味を持っているのではありません。
個人ではなく、真我でどう変化するか、そこだけに興味を持っているのです」
*******

この7つの言葉を元にして、ブログに書いてみようと思ったのでした。
これが私にとって殻から飛び立つことになったのです。

そして、私の体験をAさんからFさんまでの7名に体験談として登場させようと考えたのです。
その準備の段階から、私にはまったく違う風景が見え始めました。
そして、心は満たされていたのです。

恐る恐る「かぶせないための7つの法則」スタートしました。
そして、驚いたのは、まったく思いもかけない皆さんの反応でした。
私個人の体験に
「私と一緒」「自分のことのような気がする」「やっと分かった」などのたくさんの言葉を頂けたことでした。
私の失敗談が、こんなに皆さんの役に立てるとは思いもよりませんでした。

私にとって致命的だと思っていた失敗談
みんなに「渡辺研究員って、こんなに駄目な人間なんだ」と思われることを恐れていた、私の一番恥部ともいえる失敗談が、皆さんの役に立てる。
これは大きな驚きと大きな喜びと大きな感謝でした。

さて、今から思うと、あの苦しんだ数日は、苦しんでも良かったのですが、でも苦しまなくても良かったことかもしれません。
すぐに殻から飛びたてばよかったことだったのです。
殻から飛び立つということは、『過去の自分にこだわるのではなく、新しい自分で行動していく』そういうことだと、今の私はそのように思うのです。

そうすれば、もっとスピードも増すし、苦しみもありません。
今はそのように思っています。

(佐藤康行の言葉)
大事なのは、防衛本能を全部捨てる事です
周りの皆さんになんでも言ってもらえるようにすることです。
そのためには、防衛本能を無くしてしまうことです。


佐藤康行に近づいたから、こういう出来事が、より明確に出てきた。
さらに、スピードも速まった。
私と出会わなければ、一生、こうしたことは出なかったことかもしれない。


でも、これはいい事です。
自分の人生という限られた時間の中で、なるべく濃密な時間を生きる。
濃密な時間を生きるうえではいいことなのです


これを通して
私のやっていることがさらにわかるようになります


以前は、わからなければいい。
誰もいなくなってもいい。
本物をやるんだ、位のそういう時期もありました。

でも、今はその時期じゃない。

すべての人を生かしながらやっていく。
その方がはるかに大きな力になっていくのです

蹴散らしていくんじゃなくて、
どんな人も全部みんな協力してくれる。
そして、これが最後は一番大きな力になっていく


今は蹴散らしてやる段階ではないのです。
みんなをまきこんで、
素晴らしい噂を広まりながら伸ばしていく

その段階なのです。


だから、今それを研究員さんに置き換えたら、蹴散らして
「あなたたちわからないならいい。いつか気がつくだろ」では無いのです。
その人もみんなまきこんで、すべての人を生かしながらやっていく

だからそれにはみんなの協力が必要なのです。
出来るだけ今はひとりでも協力者を増やしていくことです。



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