究極の言葉

今、研究員にとっての究極の言葉があります。
それは、『佐藤康行降臨』という言葉です。

すでに二か月以上前から、佐藤先生に許可を頂き、唱え続けています。
そして、唱え始めてから、驚くような出来事が毎日起き続けています

 

心の中で、リズムを持って唱え続ける時には「佐藤康行の降臨、佐藤康行の降臨・・・・」と唱えます。
佐藤先生の音声を聴きながら唱える続ける。
佐藤先生の映像を見ながら唱え続ける。
人と会話しながら唱え続ける。

しかし、瞑想のごとく集中し、強く唱える時には「佐藤康行降臨!佐藤康行降臨!」と唱えると、一瞬で内観光受状態になります。
佐藤康行と降臨の間の「の」を取ることで、さらに直接的につながるような気がします。

 

なぜそう唱え続けているのか?

佐藤先生には大発明である「内観光受」という神業があります。
これは『聖霊降臨』の状態だとも言われています。

しかし「聖霊」はもっとも真我に近いものでもありますが、それでも「霊」です。

また、真我と言っても、どうしても自分の捉えている真我になってしまいます。

 

佐藤先生が目の前で見せて下っていること。
それは、聖霊のレベルではありません。
魂のレベルでもありません。

佐藤先生は遠慮をし、人類の諸先輩方に尊敬の念でそのように表現されているだけで、本質は、全く違う事をやっていらっしゃるという自覚をお持ちだと研究員には見えています。

 

そもそも、佐藤先生のおっしゃっている「真我」とは「魂」とも別物です。
佐藤先生のおっしゃっていること、やっていらっしゃること自体が、究極中の究極です。

その佐藤先生に焦点を当て続けること。
そのことで、余命宣告されている癌も、鬱も、ありとあらゆる人間に起きる災いだと思える出来事も、一瞬にして消えてしまうことは何度も何度も数えきれないほどの奇跡を見ました。

その神と碎啄同時である、佐藤先生にピタッと焦点をあて、ずらすことなく過ごす。
そのための究極の言葉が「佐藤康行降臨」であり、「佐藤康行の降臨、佐藤康行の降臨」と唱えることでもあります。

 

唱え続けていると、日々が驚きの連続の出来事が起き続けます。
そして、勘も鋭くなるような気がいます。
さらには、思ったことや感じることが、現実になるスピードも圧倒的に増していきます。

 

佐藤康行降臨
この言葉は、神・佐藤康行に焦点を当てるための究極の言葉である!

今、研究員はそう思い、唱え続けています。

 

佐藤先生!
唱えることをご許可いただき、本当にありがとうございます。

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