佐藤先生、お母様との思い出。

今日は佐藤先生のお母様の話です。

 

お母様は、佐藤先生が4歳の時に、佐藤先生をおぶって神社の階段を登っていた時に、いきなり脳溢血の発作に見舞われ、神社の階段で倒れました。
佐藤先生もおぶわれていたので、足に怪我をされましたが、医者は、お母様には「次に倒れたら助からない」と、そう言われていたそうです。

それが10年後に現実となったのです。

 

その朝は、いつも通りの始まりでした。
佐藤先生が14歳の中学2年生の時、お母様は46歳の時です。

「康行、早く起きなさい」と、いつものように起こされ、佐藤先生は学校へ行きました。
それが、生前のお母様との最後でした。

学校で、先生にすぐに帰るよう言われ、慌てて家に帰ったのですが、すでにお母様は亡くなっていらっしゃいました。

あまりの突然のお母様の死に、佐藤先生は、遺影を眺めながら、三日三晩泣き続けられたという事です。
その姿を近所の人が見て「康行ちゃん、可哀想に・・・」と、泣いてくれるほどでした。

 

お母様が亡くなった後、佐藤先生は寂しくて、どうしようもない心だったことから、つい、お父様と口喧嘩をして、知り合いの叔父さんのところに、家出をしたこともあったようです。
でも、お父様は帰ってきた佐藤先生に、何一つ叱ることもしない、そんなお父様でした。

お母様のいない家にいるのもつまらない・・・。
そう思った佐藤先生は、中学を出たら、コックさんになろうと思いました。

お父様は「康行、コックさんはいいぞ。コックさんは食いっぱぐれは無い!」とそう言い、賛成されました。

 

このように、佐藤先生は、お母様の早い死によって、自立の心が早く芽生えました。

 

当時、多くの皆さんは、札幌に出ていたのですが、佐藤先生は東京へ行くことを決められます。

東京へ行くと決めると、心がウキウキしてきて、卒業する前からボストンバッグに荷物を詰め、毎日ひとり「いってきまーーす」と、毎日家を出かける練習をしていたという事です。

 

お母様が亡くなってから、父方の祖母が子供たちの世話に来てくれました。

お父様の家系は、秋田の武士の出です。
ですので、おばあさまは、武士の娘らしい性格で、毎日着物をピシッと来ているような方でした。

小柄な方だったので、お米を計る升の乗って、窓から佐藤先生が帰ってくるのを待ちながら外を見ていたと言うおばあ様は、佐藤先生が家の掃除などを手伝うと「男がそんなことをするものじゃない」と、そんな風に言うおばあ様でした。

 

佐藤先生は、お母様、おばあ様、お姉さまと、母性の愛に囲まれて幼少時代を育たれました。

 

このころ、佐藤先生は、ご自分の中にある、不思議な力に気づくエピソードがあったのですが、その話は、明日のブログにてご紹介いたします

 


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3.佐藤康行の逸話紹介
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