佐藤先生に出会わなければ、今頃は生きてはいなかっただろうと言われる人は、数多くいらっしゃいます。
今の夫、妻とも別れていただろう。
子供も生まれていなかった。
会社もつぶれていた。
病気で命を無くしていた。
そんな風に思い、佐藤先生への限りない感謝を持たれている方も数多くいらっしゃいます。
そんな方のなかで、何人かの方が同じことを言われます。
「佐藤先生に、なぜか、申しわけない気持ちがする」
「なぜか、心のどこかにモヤモヤしたものがある」
「どれだけ感謝しても、こんな感謝ではしきれていない。これでいいのだろうか」
しかし、佐藤先生がそのことについて、何一つ求めていらっしゃらないというのもわかっています。
研究員も、かつて何度か質問をしたことがあります。
「佐藤先生にお返しをしたいのです。
佐藤先生は何を求めていらっしゃるのでしょうか?」
その時、佐藤先生は「うーーーん??」と考えながら、
「何か欲しいもの????・・・・。
考えてみたのですが、何もありません。
そのまま、真我を追及して下されば、それが一番うれしいです」
そういわれました。
先日も、ある妊婦の方が同じようなことを質問されました。
「私が、佐藤先生のお礼が出来るなら、どんな事をすればいいのでしょうか?」
佐藤先生は、ニコニコしながら
「お腹の中の素晴らしい赤ちゃんを、元気に産んでください。
それが一番うれしいことです。」
こんな皆さんが、今、佐藤先生のもとに、お礼を持ってこられています。
その時のお金は愛です。
そのお金は感謝という愛です。
このお金は、見返りを求めない、ただ感謝という純粋で透明な愛です。
例えて言うなら、水を川を流していることと似ています。
そして、佐藤先生は海です。
海は何一つ目的を持つこともなく、ただ受け止めている存在です。
しかし、その海が雲になり、雨となり、地上に降り注ぎ、生きとし生ける全ての生き物を生かし続ける源となります。
この生命の循環。
この事を実感し、この意味が分かってくるからなのか、佐藤先生への感謝の寄付をされた方は、口を揃えてこう言われます。
「受け取ってもらって、本当に嬉しい」
「受け取ってもらって有難い」
「気持ちがすっきりした」
「心のモヤモヤが晴れた」
貰う側と渡す側。
この純粋な関係、この純粋な愛には、一点の欲も我もありません。
これこそが海が為す、愛の循環です。