昨日のブログ(←クリック)の続きです。
昨日は、自分ではどうにもならないトラブルのように見える出来事が次々と起き、その出来事がすんなりと解決していくという、不思議な体験の話でした。
そしてそこには、見も知らぬ方が常に協力してくれていたという話でした。
さて、横浜に帰って翌日の朝の出来事です。
ふっと父の母の思い出が蘇ってきます。
忘れていたことも、次々と蘇ってきました。
父と母の夫婦関係。
それが息子夫婦に重なって蘇ってきます。
そして、自分の過去とも重なって蘇ってきます。
たぶん、昨日の墓参りがきっかけになっているのだと思いました。
亡き父は、このようなことを言っているように感じました。
今、全ての先祖が、一つになってありとあらゆる因縁が消えている姿を見せてくれているのだと。
前日の出来事は、何かが起きているようだけど、実は、何も起きていないのだ。
ただ、それぞれが演じているだけだと。
父も母も演じてくれていただけだと。
自分の出来事を、自分のものだとしないこと。
自分も、多くの方のために演じさせていただかせているだけだと。
多くの皆さんの人生の重なり合いの結果だと。
このことを感じたとき、「自分」というものの捉え方が変わった気がしました。
佐藤先生は、以前「奇跡」について、こんな風に言われたことがありました。
「私はね。日々、何も起きていないように見えているかもしれないけれど、その時でさえ、全てが奇跡だと見えているのです」
わかってわからない気がしていました。
今も、はっきりわかっているわけではありません。
しかし、自分に起きる出来事は、自分のものではない。
そう思ったとき、全てが奇跡でできている!
なぜか、そう感じました。
次なる世界の扉が、自分の目の前で開かれたように感じました。