自分を責める
人を裁く
その事で一番苦しいのは自分です。
昨日は、ゴミの話や責める話について、同じようなテーマでお話しをお聞きする機会があり、何か意味があるような気がして、今日はその話を中心にブログを書こうと思いました。
時々、どうしても責める癖があることに苦しむという話をお聞きすることがあります。
「責める」「裁く」ことと「ゴミを出す」ことについて、その仕組みが理解できる話を、佐藤先生がされています。
ここでは、今まで皆さんが学んできたことと真反対の事をやっています。
これは頭でわかっても、なかなか本当にはわからないのです。
あまりにも長年、そうじゃない自分で育ってきたからです。
この心の仕組みわからないと、私たち人類は逆の事をやってしまいます。
自分を責めたり、人を裁いたりします。
宗教が嫌われるのは、この部分です。
ゴミに蓋をしながら、良い考えを学んだりしていると、永遠に解決できないですよ。
永遠に解決できなどころか、自分はもうわかった気になる。
自分のゴミの上に良い考えを置くと、永遠解決できません。
ゴミを吐き出す。
強めに思いっきり出すと、その勢いでいろんなものが出てきます。
さらに、心の奥深くにあるゴミが、引き出されます。
私に向かってゴミ出しをしているだけで、皆さんは変化していきます。
全部綺麗に捨てるのです。
探してでも捨てる。
先祖からのもの
前世からのもの
全部捨てきった時、皆さんは「ありがとう」といいますね。
自分の先祖のもの。
自分の前世のもの。
全部背負って「いたらないんだ」「いたらないんだ」「ごめんなさい」「ごめんなさい」と言います。
でもね、「ごめんなさい」も「ありがとう」も全部同じ意味なのです。
それは「真ん丸を出さなくて、ごめんなさい」
もともと真ん丸だから「ありがとう」なのです。
佐藤先生が、セミナーのたびに「心のゴミ出し」をされること。
この仕組みを理解することの大切さを、強く思えた昨日でした。