今、テレビなどで、ある教団と政治との関係について、取りざたされ話題になっています。
かつて、佐藤先生は、今、話題になっているその教団の、その危うさや間違いを、ずいぶん指摘されていました。
そして、「教え」というインプットの弊害と、佐藤先生のされている徹底アウトプットの大切さを何度も話されていました。
この佐藤先生のお話は、かつて、ある教団に所属していた研究員にとっては、目から鱗があちるような、目が覚めるようなお話としてお聞きすることが出来ました。
今日は、ある教団のかつて幹部だった研究員が、その教団から脱会したときの経験。
その当時の葛藤。
この時期だからこそ、今一度、ブログに書いていこうと思います。
今もし、何らかの宗教団体に所属し、悩んでいる人がいたとしたら、その方たちの参考となれば!そして、役に立てば!!
そんな思いで、昔、教団を辞めたことを書き綴ったブログの中から、参考になるものをご紹介したいと思います。
さて、私が入信したときは、相当初期の会員だったこともあり、その団体は、心の勉強をしている私的な団体で、まだ宗教団体ではありませんでした。
私はただ真理が知りたかっただけで、よもや、自分が宗教団体に所属するなど、入会したときには、夢にも思いませんでした。
ところが研究員が入会して数年後には、その団体はいきなり宗教法人格を取得し、宗教団体となりました。
そして、その教団はみるみる大きく膨れあがっていきました。
その時には、すでに私は、その教団の真っただ中で、ただただ教団を大きくする「教団拡大マシン」となっていました。
教団を大きくするとは、会員数とお金です。
なりふり構わず、会員数を集め、お金(献金)を集める。
ただその事が、信仰心の証明であるが如く、そのマシンのようにやり続ける毎日でした。
あれほど真理を求めていたはずなのに、気が付くと、ただただ苦しいばかりの毎日となっていました。
苦しくても修行だと言われ、そう言い聞かせるのですが、この苦しさは毎日毎日、日を重ねるごとに、大きく重くなっていきました。
当時、幹部だった私に、教団からは「飴と鞭を上手に使うよう」言われました。
人に飴と鞭を使っているうちに、一番自分が洗脳されていきます。
結果、辞めると地獄に行くとか、罰が当たるとか、そう洗脳をし、洗脳され、そう思い込んでいた私は、なかなか脱会するという決意が簡単には出来ませんでした。
今から思うと、こんな子供だましのようなことを、なぜ自分が本気で信じたのか?
なぜ、信用して大切な自分の人生を左右されてしまっていたのか?
キツネにつままれたような不思議な気持ちにはなりますが、その真っただ中にいるとそれさえ見失ってしまっていました。
脱会するまでは、その恐怖心との心の葛藤が大変でした。
やっとのことで脱会すると、今度はここからどう生きていくかが、待ち受けていました。