※この内容は、研究所が立ち上がる前の研究員個人ブログのアーカイブです
毎日、佐藤康行のエネルギーについてお送りしている。
「エネルギー」と表現しているけれど、これは明らかに今までの「エネルギー」の観点とは異なっているもの。
物理学上も、科学上にも、人類の残したものでは表現しきれていない、
そんな「真我エネルギー」について、今日も佐藤康行が語ります。
Q:このエネルギーはことばとしては分かっても、どのようなものなのかわかりません。 まるで靴の上から掻いているような気分です。
わからなくていいということだね。
Q:佐藤学長はなぜ自分にこんなエネルギーがあるのか、それを不思議に思われたことはないのですか?
不思議ではないですね。
だって、これも自分だから。
自分の顔を見て不思議だと思わないでしょ、そんな感じですね。
Q:この無限のエネルギーは、「実相のエネルギー」なのでしょうか?
極めていけばね。
Q:佐藤学長は以前「誰も私に会ってないよ」とおっしゃったことがありましたが、
それとこの「真我エネルギー」とは関係ありますか?
私には誰もあっていない、その通りです。
私も会っていない・・・・。
もうわかってはいるんですよ。
わかってはいるんですが、出会っていないのです。
私が佐藤康行に出会ったときには、もう地球が変わっていると思うのです。
鏡が反射して。
Q:その時には戦争も飢餓もなくなっているのですか?
そういうものさえ無いです。
戦争や飢餓を無くしたいと思っちゃうとエゴなのです。
人類のエゴなのです。
地球から見れば人間が地球にいなくてもどうってことは無いのです。
宇宙から見れば、地球がなくなってもどうっていう話ではないのです。
Q:先日、学長は戦争と性の問題、これが究極だという発言がありましたが
それも一部なのです。
一部にすぎません。
Q:佐藤学長のエネルギーとはどんなものか、ことばで表現できるものなのでしょうか?
それは相手によりけりだね。
私から引き出す人が現れたら・・・だね。
Q:このエネルギーは持続しているのですよね。
寝ているときも持続しているのですか?
そうです。
なぜなら、それが佐藤康行だから。
何年もじゃなくて全部です、人生・・・。
だから、持続もいらないのです。
持続するという発想が違うんです。
その発想は時間の観念や、肉体を持っている観念なのです。
で、肉体を越したらまさに時間がなくなるのです。
永遠の佐藤康行。