佐藤康行先生が、「神」について語っていらっしゃるものです。
凄い!
やはり、佐藤先生だからこそ神える世界です。
これを日常で体感でき、そのようにこの三次元であらわすことが出来る発明を次々と出してくださっています。
凄い!
佐藤先生の凄さは、どこまでいっても無限です。
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神を知るということと、我に目覚めるということは同じだという前提で今まではやってきました。
今やろうとしていることはそういうことじゃない。
それからさらに踏み込んでいます。
自分が知ろうが知るまいが、感じようが感じまいが、神はそういう世界じゃない。
今やろうとしているのは。
神を体感せざるを得ない世界。
五感が与えられているのも、神を自覚するためなんかじゃない。
ただ私達がこの存続するために、五感はあります。
神は永遠だから、神と似たような 神のものまねと言ってもいい。
神は永遠で無限だから、この子孫を残すのも、永遠になるべく神に近づくためのものなのです。
言うならば動物の世界に擬態ってあるでしょ?
人間はどんなものに擬態するか、神に擬態して顕れたとおもったらいい。
魂も、遺伝子も。
神が私達を創ったのではない。
全てが神だから、私達も何もかもが神。
脳もそうだし、肉体もそうだし、全部そう。
全部顕れ。
それを私たちが五感で捉えて「こういうものがある」と、五感で捉えた分で評価している。
星を見て、自分たちが見えた分だけ星だと思っているに等しい。
星そのもの大宇宙の星そのものと、こちらからそれをとらえているのとの違いがある
目をつぶると消えるし、5感がなくなればそういうものはなくなるし。
我々はなにのために存在しているのか、それは、私達のこちらから見た「なんのため」は無い。
何のためなんかじゃない。
私達が消えてなくなっても、いいのです。
神にとっては、どちらでも同じなのです。