「永遠の命」を悟る

※この内容は、研究所が立ち上がる前の研究員個人ブログのアーカイブです

今日は、佐藤康行の奇跡の中でも特別な奇跡である「故 佐藤陽一様」の話をしたいと思います。

先日、ある方から「故 佐藤陽一様」について、メールを頂きました。

「陽一のことは、地元の友人たちと集まると必ず話に出ます。
中学から彼の人となりを知っている私達には、社会に出てからの彼の苦労を知りません。
きっと、想像もつかいないくらい人生の荒波をくぐってきたのだと思います。

魂が人よりも早く成熟したので、人間の生からちょっと早めの卒業をされたのだと勝手に解釈しています。

いつかは自分も、卒業を迎える事になります。
そうなった時、少しでも彼の覚悟に近づいていられるよう、今から日々味わって生きていかなければと思います。」(原文のまま)

死してなお、これほどまで多くの人に影響を与えている「佐藤陽一」という方について、お話をしたいと思います。

佐藤さんはカリスマと言われた美容師でした。
30代で突然、白血病を発症。

自分が思い描いていた人生計画が全て目の前から消えました。
努力して必死で得た、美容師としての誇り。
自分を支持してくれる多くのお客様。
愛する家族。

余命3カ月と宣告された彼は、自分の全てを「白血病」という病気に奪われてしまったと、死の宣告を前に、毎日、恐怖と怒りで布団の中で泣き震えていました。

そんな時、彼は、前述のメールの友人を通じて、佐藤康行と「真我開発講座」について知ります。

すでに病院からは受講許可が出ないほど弱っていた彼でしたが、命がけで病院を抜け出し、佐藤康行のもとに来ました。
帽子をかぶり、マスクをし、フラフラの状態で、佐藤が一番最初に編み出した「未来内観」を受講します。

「死から生を観る」
リアルに「死」を間の前にしている、佐藤陽一さんは、まさに命がけです。
命がけで、自身の命と向き合います。

病院に帰り、もう、病院を抜け出す事が不可能になっている彼のために、佐藤康行が病院に行きました。
たった一人の講座です。

佐藤康行はたった一人の愛する受講生を相手に、ベットの上に登り、1対1で命がけの講座をするのです。
命がけの佐藤康行と、命がけの受講生佐藤陽一さん・・・・・。
いのちといのちの講座です。

佐藤康行が帰る時、佐藤陽一さんが玄関まで見送りに来ました。
「先生、ハグしていいですか?」
そして、佐藤康行を思いっきり抱き、彼は心からの幸せそうな笑顔で「佐藤先生、ありがとうございます」そう言ったのです。

白血病で余命3か月と宣告された佐藤陽一さん。
死への恐怖で、布団の中で震えていました。

佐藤陽一さんは病院を抜け出し、命がけで「未来内観」を受講します。
受講後、佐藤康行が病院へ行き、起き上がれない佐藤さんのベッドの上に登り、命がけのセミナーをしました。

その病院から、佐藤康行あての「いのちのメール」を原文のままご紹介致します。


佐藤学長

未来内観受講してからというもの、この2年間、天井を見ているだけの私の生活の中で、辿りつけなった何かに到達出来たような実感を得ました。

私も両祖父、両親を早く亡くしました。
死ぬ寸前の彼らの思いはどうだったのか・・・・・。

考えるととても幸せとは言い難いものでした。
そして、残された私たちの心にも、大きな傷が残った事は間違いありません。

それからというもの、夜中に目が覚めると、もう20年近くになるのに、涙を流す自分がいまだに止まりません。
それは、両親の無償の「愛」を実感し、脳裏に焼き付いているからに他なりません、と同時に死ぬまで「あなたの思いは忘れないよ!」という魂の叫びなのかも知れません。

そういう点では、私は恵まれているのかも知れませんね。

自分はどこから来たのだろう、どこへ向かって、何の意味で生きているのだろうと、病院の天井を見ながら、この2年間は自問自答の毎日でした。

科学の定義に「ウォッカムのカミソリ」という言葉がありますが、全ての不要なカルマ・業をそぎ落とすの見えてくる真実を、ベッドの上から幾度も幾度も思いふけっていたのを思い出します。
そこは本当にあるのか、辿りつけるのか・・・・って。

人生の始まり、オギャーと生まれてから死ぬまでは、冷静に考えるとただの「期間」でしかないと、過去世・中間世の存在を知ると、確かに思います。
でも、この世に生を受けた以上、絶対に意味があると信じて、自分なりのレベルで想像してまいりました。

生かされている自分「他力と自力をくりかえす期間=人生」を何を求めているのかを、真剣に思いをふせたら、求めているものは「生きがいと充実の実感」でした。

「あ 、なんて自分は幸せの時間の流れの中で生きているのだろうと。

私は急性骨髄白血病です。
しかし、嘘ではなく毎日が楽しくてたまりません。

不思議なのですが、私は痛いのは全然平気、ウエルカムなのです。
人生の生きてきた期間で得た、術なのかも知れません。

私もベッドの上から定期的に何カ月も病室からでられない。
ビニールハウスの中で、自分なりの宇宙や世界、さまざまな歴史を旅して、時間の流れや様々な景色を堪能していいます。
ある意味自己離脱をしながら過ごし、楽しんでいるように思うのです。

この世に「壮大な愛は絶対に必要」だと心から思うのです。

それゆえ、「真我」の発見は、釈迦が30歳で悟られ、二十日間をかけ、華厳経、十二年かけ阿含経、方等経に十六年もかけ、般若経には十四年もかけましたね。
最後の最後の釈迦の集大成は八年をかけ、法華経を。

最後の最後の集大成の法華経を「南無妙法蓮華経」と唱えた日蓮以上のノーベル賞に匹敵する発明と言っても過言ではないと「真我」に対し、今、ベットの上で感じ取って疑いません。

学長がおっしゃる通り、親の存在は言葉ではいい表せないくらい、一個の人間に影響を及ぼすのは明白だと実感したのです。

私は今、新たな生まれたばかりの方の「臍帯血」を移植する事になりました。
多い確率で血液型も変わるそうです。全く想像もつきません。

以前、筑波大学の村上名誉教授との対談の書籍を拝見しましたが、学長がよくいわれる
「人間は記憶でできている」しかし、記憶より深い部分「真我」が我々であって、その証拠に、遺伝子の血液型が変わっても、生きるためのDNAが他の誰とも知れる方の「遺伝子情報」を頂いたとしても、私は私であり、過去未来の子孫に対し、脈々「真我」の宇宙を受け継いで行けるものと確信しています。

食べたものがお腹にたまれば病気になるように。
血液の流れが悪くなれば、障害が表面化するように、一つの形は様々な角度から見たら、全く別のものに見えるように。
そして、学長がおっしゃるように形あるものは変わる。

その大きな一定のリズムで誇張し続ける「宇宙のリズム」の中の「真我」との出会いは必然であったと確信するのです。
まさしく仏教で言う「大乗」
これは、真我=我々 ひとりひとりの肉眼で見えない部分の「宇宙」の事をいうのではないか・・・・・。

そして、そう見るだけではなく、とてつもない大きな宇宙のリズムに乗ることこそ、真我を知ったものの役目であり、使命なのではないのか・・・・。
そう感じるのです。

出会いは様々です。
心との出会い、人との出会い・・・・。
この「真我」との出会いは、このような私の状況に「泥沼に咲く蓮の花」のような衝撃と喜びと感動を常に満たしてくれています。

私は自分の人生を微塵も疑うことなく、逆に冒険できる喜びを今感じています。
それは、途方もなく高い山々、例えばエベレスト山の7 8合辺りで、頂上に挑む冒険者になった絹んで、これに挑戦できる喜びを感じ取っています。

何より「真我」との出会いは、私の人生も含め、たくさん瞑想し得る過去から現代、未来に本当の豊かさ、喜びの実感、人生の最高と充実、目に見えるものすべてに慈しみを即心的実感を与え、結果的に太古の時代から幾度も繰り返してきた、人間の愚かな一面に終止符を打つものとさえ思うのです。

皆さまの存在、役割は希望、光といっても過言ではありません。
くれぐれも学長を始め、キャスティングの方々、お身体大切にされますように。

乱文にて失礼をいたします        佐藤陽一

余命3カ月と宣告された佐藤様は、その後、6か月、日々を喜びと感謝の中、日々幸せに暮らされたという事です。
葬儀を終えた奥さまが、学長にご挨拶に来られ、どれほど病院のベットの中で、毎日、喜びと感謝で暮らしたかということを、心から感謝していかれたと聞いています。

佐藤康行はいいます。
「人は、全員、この世を去ります。
50年後に生きている人は、この会場の中で、ほとんどいないでしょう。

しかし、命は永遠であり、全体の生命とひとつです。
この真実を悟る事が本当の悟りであり、神を自覚するという事なのです」

その言葉通りの生き方をされた、佐藤陽一様は、10年たった今でも、私たちに多大な影響を与えてくださっています。


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4.体験談集(取材録)
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