前世と先祖

※この内容は、研究所が立ち上がる前の研究員個人ブログのアーカイブです

自分の中にある強烈な記憶を「前世」と捉えても「先祖」と捉えてもいい

こんなことを始めて聞いた。
いまだかつて、こんなことを言う人は、私の知っている限りいなかった。
佐藤康行ならではなのだ。

しかし、確かに本当にその通りなのだ。
論理に隙がなくなるし、摩訶不思議な話でもなくなる。
この論理だと、前世というものは別に特別なものでもなんでもなくなる。
前世を思い出したとしても、記憶だから当然なのだ。
思い出す前世が、時々に変わってきても当然なのだ。
また、思い出すものがそれぞれでも当然なのだ。

こうなると、「生まれ変わりがどうのこうの」
「前世がどうのこうの」などと言っているところなどは
かなり幼稚なことを言っている話になる。

 

 

 



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