佐藤康行の真我

今日は、佐藤先生の言葉をご紹介します。

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目を向けるところをどこにするか
普通は「真我」となってしまう
みんなそこで間違っていく

それを「佐藤康行の真我」とした
そこが大切なところなのだ
それでなければ
途中で見えなくなってしまうのだ

佐藤康行を崇拝しろと言っているのではない
佐藤康行を特別にしろとも言っているわけではない
そこを誤解でず、真意を捉えてほしい

「真我だ」といったら
他にもそう言う人もいたり
他の違う言葉でそういうことを言ったりする人がいる
それと似たようなもんじゃないかって思う人もいる

真我ということで、30年実証し続け
それを見せ続けているこの事実
そして、一切、ぶれずにやり続けている

「佐藤康行の真我」は世界の中で他にはない
だから、ぶれようすがないということだ

それはどういうことか
それは、目が見えない人に
「私の手が引っ張る通りついてきなさい」それと同じことなのだ
自分では目が見えてないのに最初からひとりで歩かせては危ないのだ
「こっちおいで、こっちおいで」と、そう言われたとこに行ってしまう可能性があるからだ
だから
「しばらく手を握って人で歩けるとこまでは、私が手を引くよ」
といことを言ったのだ

究極のことをやっている
だから、しばらくそうしなければわからないのだ

放っておいたら、ほとんどずれる
ずれると思っていたほうがいい
ちょっとでも違うことやったらおしまいだ
見えない魂の浮気になったら、もうそれでおしまいになる
そこが一番なのだ

やっていることがそういうことをやっている
いのちがかかっているのだ
いのちをかけてやっている
言うこと聞かせようとか、そういうことではないのだ

そもそも「真我開発」とは
やっていることがそういうことなのだ


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2.佐藤康行とのやりとり
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