Q:自分は真我のオウム返しをしている時、満月の被せをしているのかどうか。
わかったようなわからないような状態です。
どうしたらそれがわかるようになるのでしょうか?
佐藤先生:
心の微妙なところがあるからね。
その現場を見ていないので、愛のかぶせなのかどうかは何とも言えませんが・・・。
じゃ、眼鏡の例えで話しましょう。
三日月が丸く見える眼鏡があるします。
この眼鏡をかけると、三日月を観て
「丸くて綺麗だな。月さまは真ん丸で綺麗だね」
眼鏡をかけてない人は
「えっ?あんな欠けている人間がきれいなんですか?」と言いますね。
でも、眼鏡をかけている人には「私には丸くしか見えませんよ」となります。
実際には丸いんです。
だって、神だから。
私が美点発見をやるように言ったのは、眼鏡を真ん丸に見えるように、綺麗に磨いているのだと思ったらいいです。
闇しか見えない眼鏡を掛けたら、この三日月の光っている部分さえ消えちゃう。
そうしたら、絶ぼうするし落ち込む。
そして死にたくなるわけです。
そしてその眼鏡は、相手だけがそう見えるだけではなく、自分を見てもそう見える。
自分を見ても、何にも良い所が無い。
鏡を見ても、何にも良い所が無い。
それは死にたくもなるよね。
そういう感じだと思ってください。
Q:だとしたら、美点発見を書いてから人と会うという事で良いでしょうか?
佐藤先生:
そうそう、美点しか見えなくなってから人と会ったら、全然違いますよ。
そうすると、美点しか見えないようなボキャブラリーになる。
でも、本当は、欠点が見えてもいいんですよ、仕事だったら。
でもそのままストレートに言ったら、内心、やる気なくしたり落ち込んでしまったりするでしょ?
でもそれが目的じゃないですよね。
相手がやる気をだして、能力を発揮してくれて、仕事を会社のためにやろうというのが目的でしょ?
その目的を達成するためにも、丸くい見える眼鏡にした方がいいですよね。
そうしたら副作用が無いわけ。
この「真我の眼鏡」は副作用が無い。
こんな便利なものは無いですよ。