およそこの世の中で、佐藤先生以外の人で「真我」と「魂」の違いを明確に説明できる人はいないと、そう研究員は思っています。
過去の既存の宗教も然り。
また、過去、真我という言葉を使っているどの人も、真我と魂を混ぜて説明しています。
佐藤先生は「私は魂と真我は別物だとして捉えています」そうおっしゃいます。
今から10年以上前のことです。
まだ真我を追究し始めたころのことでしたが、研究員には、どうしても「真我」と「魂」と「個性」と「業・カルマ」がどうなっているのか。
そのあたりがフワッとしかわかりませんでした。
その辺りのことを質問したことがありました。
佐藤先生は、きちんと答えてくださいましたが、私がわかっていない事を察知られ、物理的にわかりやすく、こう説明くださいました。
宝石にはそれぞれの美しさがあるでしょ。
ルビーとかエメラルドとか。
その宝石が泥にまみれている状態が、業カルマで生きている状態です。
その泥をきれいな水で洗って取り去ったら、宝石は本来の輝きを放つでしょ?
そして、その輝きそのものが、多くの人を喜ばせるでしょ?
そのルビーだとかエネラルドとかが、あなたの個性なのです。
そのまま光を放ちながら、輝かせながら生きていけばいいのですよ。
さらに質問しました。
「真我には個性が無いとおっしゃいます。
という事は、色がついているルビーとかエメラルドとかは、まだ真我ではないのでしょうか?」
それについては「その通りです」と言われました。
研究員が思うには、ルビーとかエメラルドとかは宝石ではあるけれど、個性がある。
これが魂に近いものなのだろうかと、そんな風に思いました。
さらに突っ込みました。
「佐藤先生には、個性は無いのでしょうか?
ダイヤモンドのようなもので、無色透明なのでしょうか?」
それについては、ほとんど色が無い状態だと、そんな風にお答えいただいた記憶があります。
さて、長々お話しましたが、一体研究員が何が言いたいのか?
ここまで明確に、真我と魂の違いを、また物理的に説明できる人。
それは過去の歴史上にもいなかったという事です。
それは何を証明しているのか。
佐藤先生のおっしゃられる「真我」とは、人類が観たことも無い体感したことも無い世界なのだという事なのです。
だからこそ、佐藤先生の「真我」でしか、人類がこの地球上で存続できる道はない!
そのように、研究員は断言したいと思っているのです。