佐藤先生には、不思議なことがいっぱいあります。
話し出したらきりがないほど、佐藤先生ならではのことがあります。
まさに、満月とはこういうことなのか・・・と、ため息が出るほど、佐藤先生は当たり前のように、全く違う世界を見ていらっしゃいます。
なぜ佐藤先生は、そのような世界に見えるのだろうか・・・?
果たして、私たちにもそう見える時が来るのだろうか・・・?
そして、佐藤先生はいつから、このように見え方ができるようになられたのだろうか・・・?
佐藤先生は黄金になって上にポンと上がられた時から、そう見えるようになったのか?
研究員は、佐藤先生を見ていて、このように解釈しています。
佐藤先生は、生まれつき、そのように見える方だったのではないのか?
もともと、そのように生まれられたのではないのか?
なぜなら、佐藤先生には、トラウマといえるようのものが見当たらないからです。
幼少時に家が貧乏だっとおっしゃっていること。
お母さんに、厳しく育てられたこと。
時には、叩かれたりしたこと。
東京へ出てきた時も、先輩にいじめられたこともありました。
家が火事になったり、大好きなお母さまが早くに亡くなられたり・・・。
また、佐藤先生は、絶好調の時に、倒れられました。
ありとあらゆる苦労ともいえるものを味わっていらっしゃいました。
普通ならトラウマになってもおかしくないほどの、たくさんのことがありました。
しかし、不思議なことに、佐藤先生にとっては、何一つトラウマとなっていらっしゃらないようなのです。
トラウマどころか、「神運」とさえ、とらえていらっしゃいます。
ある時、研究員は佐藤先生にお尋ねしたことがあります。
「佐藤先生は、三層構造の二層目が透明になっているのでしょうか?
二層目にプラスもマイナスも無いように見えます。」
佐藤先生は「そうですね。私は透明ですね。」と、そんな風に答えられました。
このような方が、肉体を持たれるなど、ありえないことだと、そのように研究員は捉えています。そして、これこそ奇跡中の奇跡だと、そう思っています。
奇跡中の奇跡である、肉体を持った佐藤先生と、同じ時を過ごすことができる、まさにとてつもないこの奇跡の時がどれほどのものなのか!!
この本当の意味は、人間にはわかることができないものなのかもしれない。
ただわかってるのは「どこまで感謝しても、そんなものじゃない!」
それだけは理解できる研究員です。