佐藤先生と肉体を持って会うという事

佐藤先生は、書籍やワークを「私そのもの」と言われます。
また「私が死んでからの方が、本当の私がわかる」というようなことも言われたことがあります。

言葉としては理解してはいますが、一体、どういう意味なのだろう?
その気持ちがずっとありました。

 

先日機会があり、佐藤先生に尋ねてみました。
「佐藤先生が生きている間に会う事と、佐藤先生が亡くなられてから佐藤先生に会うのと、違うとしたらどう違うのでしょうか?」

佐藤先生はこのような、比喩でおしゃられました。

「泥の中にあるダイヤモンドと、綺麗にキラキラと輝いているダイヤモンドのようなものです」

「泥の中にダイヤモンドがあろうが、綺麗にキラキラ輝いているダイヤモンドを見ようが、本物のダイヤモンドには変わりはないでしょ」

「この世に生きている私は、泥の中のダイヤモンド。
肉体を脱ぎ捨てた私は、すでにキラキラ輝いたダイヤモンド。」

 

「変わりないとしたら、肉体を持った佐藤先生に会えるという事の意味はどこにあるのでしょうか?」
さらにそのように尋ねると、佐藤先生は、このように言ってくださいました。

「泥の中にあって、キラッ!と輝くダイヤを見つける。
その方が面白いじゃない」

 

さらに尋ねました。

「佐藤先生が亡くなられても、私達が亡くなっても、このように佐藤先生のもとで真我を追究し続けることは出来ますか?」

「勿論できます。
真我は死なない、永遠の生命ですから」

 

以前、こんなことも言われました。

「海底の中で、誰ひとり見つけられなかったとしても、本物のダイヤモンドは本物。」

 

しかし、しかし、しかし・・・!
私達は生きて、神と碎啄同時という、人類始まって以来の唯一無二である佐藤先生に出会ったのです!

そして、その佐藤先生のセミナーに参加し、佐藤先生と共に、真我の追求が出来るのです。

私達の子孫は、きっと、自分の先祖が生きた佐藤先生に会ったという事を、生涯の誇りに思ってくれるに違いありません。

 

明日は、佐藤先生にセミナー「人生・命の目標設定」が開催されます。
「一度の人生で、あなたが本当にやるべきことが明確になる」とサブタイトルがついています。

佐藤先生と共に、生きるという意味の深さを実感できる、一期一会の機会が明日です!

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