昨日は、佐藤先生の「魂が震えるライブ」が開催されました。
佐藤先生に、次々と質問の手が上がりました。
皆さんの質問をお聞きし、佐藤先生の神鏡の答えをお聞きしていると、不思議と自分自身の魂の奥深いところから何かが取れたようにスッキリとして、自分自身が救われた感じがします。
さて、佐藤先生はよくビフォーアフターの映像を見せながら解説くださいます。
その時、こういわれます。
「私の言うことを、忠実にやったのです」
そして、忠実にやった人の成果も変化も驚くばかりです。
研究員はよく振り返ってみます。
果たして自分は忠実にやれているのか・・・?
自分流の捉え方をして、自分流に理解し、自分流にやって、やっているつもりになっていないだろうか?
Iさんは、佐藤先生から「私の音声を聴きなさい」と言われ、6つの音声を同時に流しっぱなしにされました。
私だったら、そう言われたら、たぶん一つの音声を理解しようとして聞いてしまっていたでしょう。
6つの音声を聴いたIさんは、それで自分の脳を壊し、結果、癌が消えてしまわれました。
一つの音声を理解しようと聞いていたら、反対に自分の価値観を強めてしまっていたかもしれません。
「私の瞑想は、雑念雑音を利用して、深く入る瞑想なんですよ」と言われたら、Iさんは、あえて雑念・雑音が出るであろう場所で、佐藤先生の瞑想をするということもされました。
もし、静かな自宅で静かに瞑想をしたほうがいいと思い込んでいたら、雑念雑音を利用できなかったかもしれないと思うのです。
どっちが「忠実にやっている」のか?
当然、Iさんです。
佐藤先生の言わんとされることを「忠実にやる」とは、どのような態度で佐藤先生の言われることを聴き、どのような態度で行動することなのか?
自分の考え方、自分の見え方を当然のようにして受け入れてきた自分。
そろそろこの脳を、完全に佐藤先生の集中したいと、そう思っています。
佐藤先生の言わんとされていること。
そこに集中したいと、そのように思っている研究員です。