今、佐藤先生が初めての自叙伝を出されようとされています。
今の受講生の中でも、古い受講生となるであろう、1990年台の佐藤先生のことをよく知る方がいらっしゃいます。
九州の柳井さんという方です。
研究員は、九州の柳井さんの「体験談」を、以前、ブログに載せようと、九州まで出向き、インタビューさせて頂いた事がありました。
ブログ掲載から、すでに、10年以上の月日が経ちます。
その柳井さんの当時の体験談を、古いブログをさかのぼり、今また、再現したいと思います。
当時の佐藤先生は、30歳台後半です。
まだ若く、レストラン経営をバリバリとされていた時期です。
また、すでに、現在の「未来内観」である真我開発講座も、開催されていました。
現在から振り返ると、当時、佐藤先生は、すでにご自身の天命に気づかれていたのですが、ご自身の天命については、秘密にされていました。
そして、ただひとり、事実実証を出し続けられていた時です。
1991年にポールソロモンが日本に来日し、テレビの中で「日本から救世主が現れる」と、予言をしました。
佐藤先生はその予言の人物が自分だと、すぐに気づかれましたが、それでも一言もご自分のことはおっしゃらなかったのです。
当時の佐藤先生は、実業家として超多忙であり、その超多忙な傍ら、教育教材を販売されていた時期でもありました。
柳井さんが佐藤先生を知るのも、この教材販売の仕事を通してです。
では、柳井さんの言葉を再現してみたいと思います。
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私と佐藤先生との出会いは、1990年当時です。
先生も私も世界60カ国に広まっている、ある有名な教育教材の代理店をやっていた時の事です。
当時、佐藤先生は、ステーキハウスのチェ―ン店を全国に次々と展開する忙しい経営者としての傍ら、そのほんのわずかな時間をぬって、教育教材の代理店をされていました。
ところが、佐藤先生は、代理店になられるや否や、あっという間に売り上げを上げられていかれました。
そして、アッといまに「世界一」になられたのです。
本当にアッという間です。
当時の先生の販売成績は金額もスピードも、かつて見た事が無いほど、驚異的なものでした。
私は、よほどの人脈を持っているのか、それとも、何か特別な販売テクニックがあるのか、そう、思っていました。
当時の佐藤先生の状況を知れば、そうとしか思えなかったのです。
今なら、佐藤先生なら売り上げ100倍どころか、世界一の売り上げになるのは、当たり前だと言う事が、良く分かります。
しかし、当時は、その仕組みが分からなかったのです。
その教育教材の世界代理店会議に、佐藤先生は「世界第一位」。
そして、私は「日本第二位」という事で、アメリカに一緒に行く事になりました。
(明日に続く)