佐藤康行5年前の「真我真理研究会」②

佐藤康行の毎日の「真我真理研究会」は、当時、出たい人は誰でも出られるというものでした。
未受講生の方も、受講生の方も、スタッフの方も、同じように参加していました。

そして、新宿事務所の5階は、毎日、ぎゅうぎゅう詰めで座って、毎日盛り上がっていました。
玄関に靴がおけなくて、廊下の厚紙の上に、靴がズラ―と並んでいたのを覚えています。

佐藤は「皆さんを研究材料としてやらせてもらうので、どんどん発表して下さい」と言い、その言葉通り、毎日のように新しいワークが出てきていて、それを毎日私達は体験していたのです。
未受講生も受講生もスタッフも関係なく、必死でみんなで追及していました。

その、毎日出てくるワークを、当時の5階の担当スタッフが、音声に取り、必死でノートに書き留めていたものが、今日の「真我体道」となって生きています。

佐藤から新しいワークが、まるで湯水が溢れるが如く、次から次へとどんどん編み出され、多分、その当時で数千という数字のワークが編み出されていたのではないかと思っています。

当初、私は「体道」というものが苦手で、「なんで心に思ってもいないことをするのか・・・?」と、その意味も威力もわからないでいました。
何か、演技でもしているようで、とても苦手意識がありました。

当時の私は、長い宗教生活の中、「ゴミ」を出す事が出来ず、強い蓋で閉じ込めていたせいか、自分自身、ゴミの存在にも気づかづにいました。

ある日、強烈な経験をしました。
ワークの中で、すっかり忘れていたことを思い出したのです。
幼いころの経験です。

愛人のもとに通っていた父が、久しぶりに帰ってきた時、母を思い、純粋で潔癖な高校生だった姉が、刃物を持って向かっていったのです。
真っ赤な血がパッと飛び、幼かった私は、恐ろしくて泣きじゃくっていました。

幸い大した怪我もなく、事なきをえたのですが・・・。
しかし、思いもかけず、私の心の奥底に、深い記憶になっていたのです。

父も、この事は深く気にしていたようで、後年、姉が病室に来ると、いつも大粒の涙を流していました
父にとって、姉は特別だったのでしょう。
そして、姉にとっても父は特別だったに違いありません。

始めて、ワークを通して、この事を口に出し、私自身も深く傷ついていたことを知りました。

佐藤に「私はどうしたらいいのでしょうか?」と、質問したら、

佐藤は「これは、御父さんの問題でもなく、お姉さんの問題でもないです。そう思っている、そう見えているあなたの問題なのです」
と言われ、当時の私はあっけにとられ、、また、「私の問題」という意味がはっきりわからなかったことを覚えています。

しかし、当時、謎めいて聞こえた佐藤のこの言葉に、私は深い感銘を覚え、そこに何かがあると思えて、さらにさらに追及することに決意したのです。


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3.佐藤康行の逸話紹介
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