佐藤康行の理論編

※この内容は、研究所が立ち上がる前の研究員個人ブログのアーカイブです

今年も、佐藤康行を研究していきます。
昨年同様、とことん、佐藤康行に焦点を合わせ、集中して研究していきたいと思っています。

さて、昨年末、最後の佐藤康行の講座は「真我完全理解」という講座でした。
また、今年は「宇宙と命のシステム」という講座も行われます。

どちらも、理論を中心とした講座です。
こうした講座は、今までの佐藤康行の講座からすると、大変珍しいとも言えます。

佐藤康行の講話は、引きの講話とも言われ、いわゆる引き出すための講話です。
また、質疑応答も、人間の観点からの質問を、真我からの観点で答えているため、一見、咬み合っていないに感じる方もいるようですが、本当の意味では咬み合っているのです。

ですから、佐藤の言う理論とは、あくまでも真我の理論に焦点を当てた理論であると、そのように私は理解しています。

すこし、話の観点を変えてみます。
佐藤康行の話ほど、隙のない話はないと思います。

脇が甘くないのです。
ほんの一瞬の隙もないのです。

一見、佐藤康行は自由に好きな事を話しているようにも聞こえます。
それほど、融通無限で、どんなことにも、そんな質問にも即座に答えます。
まるで、頭を使っていないかのごとく簡単に話しているように見える時もあります。

しかし、その話を、もう一度、同じように話してみようとしたり、説明しようとしたりするときに、それが全く出来ない。
聞いている時は理解出来ているつもりだが、それを話してみようとすると、全く出来ない。
そんなことは、しょっちゅうです。

私も、佐藤康行を研究し、佐藤康行を表現しようとすればするほど、いつもこの部分に苦労し、悩んでもきました。
いつも思ったものです。
「いったい、佐藤康行はどこから発想し、どの脳を使って話しているのだろう・・・・」

佐藤康行の理論は、一部も隙のない理論ですから、それを現わそうとした時、一つの助詞が変っても内容が全く違ってしまいす。
それほど、ぎりぎりの部分の話なのです。

佐藤康行は、ここのところ、なるべくゆっくり私たちに解りやすく話してくれようとしてくれている事が解ります。
しかし、もし、佐藤が全く私たちに合わせることなく、自身が見えるものや解ることを一方的に話してくれるとしたら、それは、きっと、宇宙語にしか聞こえないような、全く理解不能なもになるかも知れません。

その佐藤康行に、今年も、一歩でも二歩でも踏み込んで行きたいと思っています。

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