※この内容は、研究所が立ち上がる前の研究員個人ブログのアーカイブです
長いタイトルをつけました。
「あなたは、本当に、佐藤康行に出会っているのか?」
このことは、私も自分自身に問うことです。。
先日、ある方に、こう聞かれました。
「研究員さんは、毎回、佐藤学長の講座を『凄い!凄い!』と、ブログに書かれていますが、毎回、本当にそう感じるのですか?
毎回、学長の凄さが違うのですか?」
私はこう答えました。
「毎回、違います。
違うどころか、回を重ねるごとに、おっかけを重ねるごとに、さらに、佐藤学長の凄さ、講座の凄さが増してきて、いきつくところは、本当にまだまだわかっていない自分に気づかされるのです」
これは、自分自身不思議なのですが、これだけおっかけしていると、佐藤康行の講座を、前と同じと感じたり、前回のほうが面白かったなどと、普通なら感じそうなものなのですが、それが一度もないのです。
いまだかつて、ただの一度としてありません!
むしろ、毎回、新たな佐藤康行に出会えた感動と驚きと喜びで、感激してしまうのです。
だから、こうして毎日ブログを書き続けていられるのです。
考えても見てください!
毎日、毎日、既に400日はゆうに超えた回数、同じ人のことを書き続けられるということは、マンネリになったり、以前と同じということでは不可能なことなのです。
そういうことなのです。
毎回、毎回、講座で「新しい佐藤康行」に出会い、それによって、新たな思いもかけない自分に出会えるからこそ、こうして、フレッシュな気持ちで書き続けられているのです。
私は、毎回毎回「新たな佐藤康行」と出会っているのです!
しかし、だとしたら、昨日まで私が知っていた佐藤康行は誰だったのか?
私が「佐藤康行だ」と思って見ていた、聞いていた、あの佐藤康行は誰だったのか・・・?
そう思うわけです。
ひょっとしたら、実は私は佐藤康行にまだ出会っていないのではないか!?
自分の認識した「佐藤康行」を見ているだけで、本当の「佐藤康行」にはまだ出会っていないのではないのだろうか?
理屈からいえば、そうなるわけです。
もし、仮に今日から、講座にも出ず、ワークもせず、昨日までの自分の認識している「佐藤康行」を佐藤康行だと決めて、「私はもうわかったから、これでいい」などと思ってしまったら、結局のところ、本当の佐藤康行には一度も出会っていなったということになるわけです。
私の「佐藤康行研究」は、ここが基本になっています。
生涯をかけて、佐藤康行研究をしていく原動力は、ここにあるのです。
佐藤康行は無限です。
そして、自分自身も無限です。
まだ見ぬ「佐藤康行」に出会う旅こそ、自分に出会う旅になる。
それは、何物にも代えがたいほど、ワクワクする、楽しい旅なのです!