思いがけない「縁」

※この内容は、研究所が立ち上がる前の研究員個人ブログのアーカイブです

「えっ!?こんなことってある?」
あまりの出来すぎた話に、作り話と思われるのではないかと、しばらく人にも言えずにいた話です。

IGAの真我開発講座を一通り受講した私は、YSコンサルタント主催の「サンタ営業」の講座も集中して受講しました。
真我を実践する、ダイナミックな講座、そしてワークに、真我というものはただ心のどう見るかだけではなく、実際にこんな形で世の中に現わしていけるものだということを実感し、そして、宗教とはやはり真逆であること、全く違うことを体感し、真我に出会えた喜びを感じていました。

YSコンサルタントで、佐藤康行が若い時代に、営業を通して何をしてきたのか・・・・。
そして、いかなる経営者であったか・・・・。
それを見るにつけ聞くにつけ、さらに、佐藤康行に対する確信が強まったのでした。

そんな時、佐藤康行の有名な宝石の販売の話を聞いていた時、「え、ええっーーーー!?」と思ったことがあるのです。

亡き母は、私が若い時期に、故郷の市の日本赤十字社の会長を務めていた時があります。

この日本赤十字社は、名誉総裁を皇后に、女性だけで県や市に下部組織が設置され、まさに女性の名誉職とも言える団体です。
父が市の議員を長く務めたということもあり、母はその名誉職を務めていたのでした。

私の記憶によると、会合ということで、あちこちに忙しそうに出かけていました。
県や各市の有力者の奥さんとの会合ということで、おしゃれをしてお食事会などに出かけていました。

当然、洋服、着物、宝石などにも、大変気を使っていたのでした。
そして、母の新しい洋服や着物、宝石がどんどん増えていたった時期でもありました。

ある時、母が珍しいことを言ったのです。
その珍しい母の話に心ひかれた私は、その話の内容を鮮明に覚えているのです。
確か、私が20歳になるかならないかの頃だったと思います。

その日、母はダイヤモンドの指輪を私に見せました。

いつも母が買い求める、地域の有名店の指輪ケースとは違った指輪ケースでした。
そのケースは始めて見るケースです。
「あれ?これはどこの店で買ったものだろう?」そう思ったことも覚えています。

母はその中のダイヤモンドを私に見せてこう言ったのでした。

「お母さんは、娘がそれぞれがお嫁に行く時、一つづつ宝石の指輪をもっていって貰おうと思っている。
そして、その指輪を、お母さんの形見だと思って大切にして欲しい。

お金を残しても、使ったら無くなるし、着物も洋服も流行があるし、
指輪だったら、いつまでも持っていける。

この指輪を、いずれおあなたが生まれる子供の入学式や結婚式に身につけて行ってほしい。
この指輪は、とってもいいダイヤの指輪だから、どうしたの?聞かれたら、母の形見だと言って欲しい・・・・・」
的な話だったのです。

その話に、妙に心動かされた私は、その日のことを鮮明に覚えていたのでした。
そして、本当に結婚をした時、その日に見せられたそのダイヤの指輪を、母から送られたのでした。
そして、その指輪とともに、お嫁に行ったのです。

母から「私の形見」と言ってもらった指輪は、私の人生とともにずーとありました。
母と私は、真我開発講座を受講するまで、決して仲の良い母と娘であったとは言い難いものでした。

しかし、さすがに、母が「自分だと思ってほしい」と言われたダイヤの指母は、大切に持ち歩きました。
母の言う通り、兄弟や友人の結婚式。
そして、息子の入学式、そして卒業式。
母から受け継がれてものとして、必ず、指につけました。

その後の、私の波乱万丈な人生に、母からの指輪はいつも私のそばにありました。
離婚した時も・・・。
商売を始め、あっという間に大きな会社になった時も・・・。
宗教に入って、仕事も全てを捨てた時も・・・・。
宗教から脱会して、会社を作るも食べられなくなり、あわやホームレス寸前になった時も・・・。
例え、財布の中に、数百円になった時でさえ、その指輪だけはを売ろうとは思いませんでした。

ちなみに、一番上の姉は翡翠。
次の姉はエメラルド。
妹はルビーでした。

この話は、全員覚えていて、母の葬式の時にその話が出たほどです。
そして、全員、ずーと大切に手元に置いてありました。

さて、話は戻りますが、佐藤康行の営業の話を聞き、本当に驚きました。
早速、指輪のケースを探したのですが、指輪は宝石箱の中に納めていましたが、ケースは見つかりませんでした。

また、当時、母は既に認知症になっていて、5分前のことさえ忘れてしまうような状態だったので、このことを尋ねてみましたが、結局は分かりませんでした。

今でも本当のことは定かではありませんが、私にとってはとても大きな意味のあることでした。
本当かどうかというより、ずーと、母を通して、佐藤康行と触れてきたのだと、そう思うことにしたのです。

しかし、こうした縁は決して私だけではないと思います。
佐藤康行と、過去、縁があった全ての皆さんが、きっと私と同じように佐藤との何かがあったと思うのです。



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