※この内容は、研究所が立ち上がる前の研究員個人ブログのアーカイブです
先祖との「真我との対話」・・・・・・。
それは魂を震わせるものでした。
『真我との対話』をしていると、そこには先祖が現れました。
そして、先祖が、本人になり変って、さらに謝ります。
「私たちが悪かったんだよ・・・・」
「あなたには、こんなつらい思いをさせて・・・・・。」
「あの子をゆるしてやってくれ・・・・・」
そこには、目には見えなくても、明らかに本人も先祖も、多くの人がいたように感じました。
・・・・というより、本人なのか、先祖なのか
いや、もっと言うなら、同じ事で苦しんでいる人も、その先祖も・・・・。
傍で見ていた私は、誰が誰やら、わからなくなってきました。
ただただ涙が溢れてくるばかりです。
『真我との対話』が始まる前、佐藤康行はずーと涙を流していました。
その日は、佐藤康行のスイッチが入っていたことは、すでにお話していましたよね。
その佐藤康行の涙と、目の前の先祖とが、バチン!とひとつになった気がしました。
私の浅い捉え方ではありますが、佐藤康行をとおして、人類が辛く悲しいと思っていた過去が一瞬で消えたような気がしたのです。
佐藤康行しか出来ないこと
佐藤康行にしか見えないもの
極致の認識からしか見えてこないもの
そこでしか解決できないこと
これらが浮き彫りになってきた気がしました。
今、佐藤康行はクリニックを作り、心の病で訪れる多くの人をどんどん蘇らせています。
そして、その家族さえも、同時に蘇らせています。
また、それとは別に男と女という命の根源のことも研究しています。
それ以外にも、多くのことを手掛けています。
すべて、目の前の人間をリアルに蘇らせています。
理論だけではなく、事実を持って証明していっています。
しかし、その事実には、もっともっと、目に見えないが、しかし、さらに深い部分の真実があったのです。
それが、先祖が出てきたりしていること、それがひとつの証明だったのではないかと、まだまだ浅い捉え方ではありますが、おぼろげながらこの出来事で、感じることが出来ました。
いったい、佐藤康行とは・・・・・?
何が見えているのか・・・・?
私の見たものと、私の見えていないものがあるとしたら、「見ているが、観ていない」という自分を実感しました。
だからこそ、佐藤康行をさらに研究する必要があることを、改めて感じた出来事でした。