佐藤先生の話を誰かにするとき、その話のほとんどは、佐藤先生のされた数々の奇跡の話になります。
自分を始め、目の前で起き続ける、驚く奇跡について語ることになります。
私たちは、佐藤先生の会った時、今までに見たこともない数々の奇跡を、間近で見て、驚愕することになります。
そして、佐藤先生の存在の凄さを思い知らされることになります。
以前、佐藤先生は
「真我で言ったら、奇跡が起きない方が、ある意味奇跡です」と、おっしゃいました。
真我そのもので生きるならば、元に戻る力が働き、人間が奇跡と思える出来事は、起きるべくして起きるものだ。
という話です。
改めて考えてみると、一体、佐藤康行とは何者か?
もし人に問われたとしたら、いろいろな表現があるかとは思いますが、奇跡の観点から見るとしたら、
奇跡を日々起し続けていている人。
という事もできます。
即ち、神技を起こす人。
神風を起こす人。
神に戻す人。
その人こそが佐藤先生です。
やはり、どう考えても、今一度、佐藤先生の凄さを、もっと自覚した方がいい。
その意味と凄さを知らなければ、佐藤先生をみた事にも知ったことにもならない。
今日はそんなことが、朝から心に浮かんできます。
佐藤先生のこれまで為されたこと。
その事を、今一度、思い起こしてみたいと思います。
佐藤先生と出会えたこと。
これこそが、最大、最高の奇跡であると、今日も深く思います。
佐藤先生!
ありがとうございます!!