1月30日に「ある女性の壮絶な体験」という体験談を、シリーズで皆様にお伝えしました。
ある女性の壮絶な体験①(←クリック)
ある女性の壮絶な体験②(←クリック)
ある女性の壮絶な体験③(←クリック)
ある女性の壮絶な体験④(←クリック)
ある方を通して、彼女の体験を研究所日記に掲載させていただいたことについて、彼女からこんな連絡を頂くことができました。
この内容を読み、研究員は目頭が熱くなりました。
今なお彼女の心が、どれだけ熱く、ずーーと佐藤康行の元にいたのかという事を知ることができ、 改めて、この「真我」に出会うという事が、そして、佐藤康行に出会うという事が、人生においてどれほど大きく大切なことなのかという事を、強く感じることができました。
皆様にも、彼女の「最新の言葉」を、是非、お読みいただけたらと思います。
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(ご本人の許可を得て、掲載させていただいています)
思えば、17歳の時のあの事件がなかったら、今の私の人生は絶対になかったのです。
あの事件が今の私につながっていたかと思うと心から感動いたしました。
あんな事件があって、当時は「一人で頑張らなきゃ、強くいなきゃ、負けないようにと」いう気持ちが強く、その気持ちが私を支えていました。
でも、あの事件が「愛だったんだ」と気がついた時に、私の支えていたものが崩れ、支えていた「つっかえ棒」が取れた気がします。
体験談をとても大切にしていただき、ありがとうございます。
この体験談は私のものでもない気がしています。
これが本当にお役に立っているのならば、これを読んでもらうために、これを書くためにこの体験をした(地獄から真我)気がします。
わたしも、ここ最近、急に気づきがありました。
気づきと言うよりは、見方が変わったのです。
私は真我をとらえ違いしていました。
こんなに何年も何年もたって、「あぁ、佐藤学長がおっしゃっていたのはこうゆうことだったんだ。」とか、捉え方の自分の頑固さ加減に思わず笑ってしまいます。
と同時に気づけたことに感動します。
現実生活の中で、心が揺れる事よりも真我でものを見れ、体現して生きられることって凄いことですね。
(出来てるかどうかは別としてね)
本当に私は運がいいというか、本当はあの体験を望んでいたんではないかとさえ思います。
なぜなら、あの体験がなければ、私は学長に出会うことができなかったと思うからです。
だから、この体験談は必要な方へ届けてくださる佐藤学長のものだという気がします。
この先は何があるのかわかりませんが、私の過去もみんなみんな必要なことであり、そうなるようになっていたのだと思います。
そうなるとは「真我に目覚めて真我で生きる」ということを求めて求めて 、そのために私にはあの体験が必要だったのだと、そのように思っています。
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Aさん。
そして、お話をつないで下さったMさん。
紙面を通して、心から感謝申し上げます!