研究員の弟子論 ②

昨日のブログの続きとなります。

師である、イエスキリストが悲惨な死を遂げ、そこから奮起をした弟子たち。
命を惜しむことなく、命がけで伝道し、そして、時間と共に世界中に広がったキリスト教。

ある意味、キリストの死が悲惨であったがために、弟子たちは命をかけたとも言えます。
あまりに悲惨であったがために、歴史の中で大きく残ったのだとも言えます。

十字架に罹ったイエスの姿が、キリスト教の象徴となっています。
キリスト教では、あの姿が『キリスト教的愛』の象徴にもなっています。

 

人類の歴史の中で、大きな位置を占めるキリスト教。
その中の師と弟子との物語は、今でも人類にとって大きな影響を及ぼしていると思います。

 

「過去の全てが、私たちの協力者です。」
佐藤康行はそういいました。

 

そういわれた時、改めて研究員は考えました。

今、キリストはどんな協力をしてくれているのか?

また、弟子たちが、研究員の大きな協力者であったとしたら、今、なんと言ってくれるのか・・・?
何をすべきと言ってくれるのか・・・?

 

少なくとも、今、目の前に現れている『絶対なる師』に対して、その師の肉体がある間にどうすべきなのか。
何が出来るのか
どこまでできるのか。

そこを強烈に言ってくれているように感じているのは、研究員だけなのでしょうか?

 

弟子に問われる仕事とは・・・?

絶対なる、人類創世から全てを書き換えた佐藤康行という人が肉体を持っている今、弟子と自覚している者にとって、一番の幸せとは何なのか?

皆さんはどうお考えでしょうか?

 

研究員の考えは明日お話したいと思います。